現役続行に前向きな羽生結弦が「銀盤の皇帝」に重なる
逆転を目指して挑んだ北京五輪のフリープログラム(2月10日) Aleksandra Szmigiel-REUTERS
<ソチ五輪で団体金メダルを獲得したとき、プルシェンコは31歳だった>
北京五輪のフィギュアスケート男子シングルで4位だった羽生結弦が2月14日夕方、北京で記者会見をした。
会見の開催が報じられると、「引退発表ではないか?」とSNSに憶測が飛び交ったため、日本オリンピック委員会(JOC)が追って「メディア各社からの個別取材申請が多く、個別に対応することが困難なため実施するもので、羽生選手からの発表会見ではございません」と説明。これに多くのファンは安堵し、実際の会見内容も「現役続行」に前向きなものだった。
会見の冒頭、司会者の「質問のある方は挙手を」という言葉に、羽生は真っ先に手をあげた。そして「質問で来ないかもしれないので」と前置きし、金メダルを取ったネイサン・チェンは「本当に素晴らしい演技だった」と称え、スタッフへの感謝を述べた。周囲への気配りを忘れない彼らしい始め方だった。
フリーで挑戦したクワッドアクセル(4回転半ジャンプ)については「満足した4回転半だと思っています」、試合後初めてこの日に練習リンクで滑ったことについては「僕は僕のフィギュアスケートが好きだなと思えた練習だった」。こうした答えから伝わってきたのが、大変な努力をしてきたプライドと自信、今の時代にぴったりなラブ・マイセルフ(自分を愛すること)の考え方だった。
気になる今後については、「このオリンピックが最後かと聞かれたら、ちょっと分かんないです。(中略)怪我してても立ち上がって挑戦するべき舞台と思います。フィギュアスケーターにはほかの舞台はないので、すごく幸せな気持ちになっていたので、また滑ってみたいなという気持ちはもちろんあります」と述べた。
フリー前日の公式練習で捻挫し、今も強い痛み止めを許容量以上飲んでいると明かした羽生にとってはけがの治療が最優先だろうが、近々引退するつもりはないようだ。
会見の後はテレビ局の個別取材にも応じたが、その中で印象的な言葉があった──足首の状態は良くないが、20日のエキシビションでは「体を痛めつけてでもやりたい表現、見てもらいたい演技があるので、今はとにかくそこに全身全霊を込めたいなと思っています」(NHK)。
こう話す羽生を見て、彼が幼い頃から憧れ、交流のあるロシアの元フィギュア選手、エフゲニー・プルシェンコを思い浮かべた人もいたのではないか。彼は2006年トリノ五輪の金メダリストであり、02年ソルトレークシティー五輪と10年バンクーバー五輪で銀メダル、14年ソチ五輪で団体金メダルに輝いた(個人種目は棄権)、「銀盤の皇帝」と呼ばれた人だ。
そのプルシェンコが引退を表明したのは17年3月。出場を目指していた平昌五輪の1年ほど前で、彼はこのとき34歳。ソチ五輪では31歳だった。そして次の26年冬季五輪(ミラノ・コルティナダンペッツォ)のとき、羽生は31歳だ。