【特別寄稿】「8割おじさん」の数理モデルとその根拠──西浦博・北大教授
THE NUMBERS BEHIND CORONAVIRUS MODELING
コミュニケーションをめぐるもう1つの課題は、対策の根拠とされたモデルの透明性についてである。どのような数式やパラメータを使用して算出しているのか見えづらい、分かりづらいという声も聞こえてきた。
本稿では日本における第2波に備えて、まずはこれまでに用いてきたモデルの根拠をかみ砕いて示すことに努めたい。また、いわゆる「集団免疫」と言われる状態に関する最新の知見を紹介し、それと同時に、被害想定で抜け落ちている重要な要素に関して現時点で得られている科学的知見を更新しつつ整理してみたいと思う。
日本で用いた年齢構造化モデル
まず、感染症のモデリングとは何か、についてである。
感染症はヒトからヒトへ伝播して広がるため、ある者の感染リスクはその者の周囲にいる他者の感染リスクと無関係ではない(感染者になる知り合いが多いと自分も感染しやすい)。そのような「リスクの従属性」と言われる構造に対応するために、感染症領域では感染メカニズムを直接的に数式で記述したモデルが用いられることが多い。感受性(感染し得る性質)を持つ者が感染して、その後に発病し、回復、あるいは死亡するまでのプロセスを集団レベルで数理的に記述するのである。
日本では、2月25日に厚労省の新型コロナウイルス対策本部の中にクラスター対策班が設置され、筆者はその中でデータ解析を実施するチームの一員として数理モデルを利用した分析を開始した。筆者に専門家として求められる役割は、上述のような感染メカニズムを加味するような数理モデルや統計モデルを駆使して、COVID-19のリスク評価を実施することだった。
その中で、3月頃から欧州や米国で大規模な流行が始まり、リスク評価の一環で最新の知見を基に被害想定を検討することが必要となった。そして、3月19日の専門家会議において(何も対策を施さなければ)人工呼吸器の保有台数を重症感染者数が上回り得るというシミュレーションを公表した。
その被害想定として推定死亡者数が政府から公表されない事態が続き、4月15日に、何も対策を施さないなかでの死亡者数として約42万人が想定される、というシミュレーションを発表するに至った。
では、この「42万人」はどのように算出したのか。まず、SIRモデル(Susceptible Infectious Recoveredモデル)と呼ばれるものがある。SIRモデルとは、基本再生産数(全ての者が感受性を有する集団において、1人の感染者が生み出す2次感染者数の平均値)や回復率といったパラメータを使って、時間とともに発展する流行動態を導き出すためのモデルである。
ウイルスが伝播する過程を、①免疫を持っていない人(感受性者:Susceptible) が ②感染して新規感染者( 感染中の人:Infectious)となり、③免疫を持って回復する、もしくは死亡する(回復者/除外者:Recovered /Removed)に分けて数理的に説明する。総人口=感受性者+感染中の人+回復者/除外者である。政府発表などの流行曲線では、この過程のうちで感受性者から感染中の人へ新たに遷移する1日当たりの人を新規感染者数として用いている。