トランプ大統領による「世紀のディール」──中東和平案が想起させる憂鬱なデジャヴ
ネタニヤフ首相を招いたホワイトハウス。「世紀のディール」と銘打ったものの...... Brendan McDermid-EUTERS
<トランプ大統領によって中東和平案が発表された。しかし、この「世紀のディール」がまともな交渉の提案として機能する可能性はきわめて低い......>
2020年1月28日、ネタニヤフ首相を招いたホワイトハウスで、トランプ大統領による中東和平案が発表された。「世紀のディール」と銘打つものの、その後の国際社会からの反応は鈍い。トルコ、イランは早くから反対を表明したものの、ロシア、国連、EUはこの提案内容を「検討する」とし、「相互に容認できる妥協案」の模索を呼びかけた。暗にほのめかされているのは、これまで交渉の前提とされてきた国連決議での1967年境界(第三次中東戦争以前の境界線)の尊重であろう。今回の提案では、これを大きく変える境界線が提示されているからだ。
やや注目を集めたのは、アラブ諸国の動きである。カタールとサウジアラビアは発表直後の声明で「アメリカの仲介努力に」謝意を示した。UAE(アラブ首長国連邦)、バーレーン、オマーンの駐米大使らは、発表のまさに当日、ホワイトハウスの別室でユダヤ系資産家のエーデルソン夫妻と同席していたことが報じられている。これら湾岸諸国の反応には、昨年6月にバーレーンで開かれたマナーマ会議での経済投資という「飴」が、少なからぬ影響を与えていることが推察される。2月1日にはアラブ連盟の緊急会合がエジプトで招集され、結局、今回のトランプ提案を拒否することが議決されたものの、かつてのアラブの連帯はどこへ消え去ったのか、情けない限りである。
トランプ大統領による和平提案は、イスラエルの政情に合わせて昨年から発表が何度も延期されており、今回の発表はやや唐突な印象も受ける。なぜこのタイミングで発表されたのか、また「世紀のディール」と豪語する以上、どこまで新しい内容が含まれているのか、今後どのような影響が期待されるのか、考えてみたい。
なぜこの時期に発表されたのか
クシュナー大統領上級顧問を中心とする中東和平案の立案は、トランプ大統領の就任直後から始まっていた。湾岸産油国を中心とする中東諸国の訪問や調整を経て、昨年夏頃には公表の準備が整っていたと思われるが、イスラエルでの総選挙とその後の連立交渉が行き詰まり、再選挙が繰り返される中で、発表のタイミングが失われていた。ついに年が明け、トランプ大統領自身も二期目の選挙戦を迎える中で、もうこれ以上待てない、というのがアメリカ側の本音だろう。
次に指摘されるのが、イスラエル国内での首相の収賄疑惑に伴う訴追のタイミングだ。トランプ大統領が中東和平案を発表すると設定した1月28日は、まさにクネセト(イスラエル国会)でネタニヤフ首相の3つの汚職疑惑に対する訴追免除が議論される予定の日だった。その同じ日に、発表に合わせてネタニヤフ首相をワシントンに招待することで、当人を不在とし、イスラエル国内での批判の勢いをそぐ狙いもあったと考えられる。同様に議会から弾劾される立場として、トランプ大統領自身、共感を抱ける部分もあったのかもしれない。
一方で、本来なら和平の相手方であるはずのパレスチナ自治政府のアッバース大統領は、「世紀のディール」の公表自体について事前に告知されていなかった。公表予定日が報じられたその日、アッバース大統領はベツレヘムでロシアのプーチン大統領と会談していた。当然のように、トランプ大統領からワシントンへの招待はなかった。アッバース大統領は、2017年12月のアメリカによるエルサレムへの大使館移転決定以降、トランプ政権による和平仲介を拒否し続けている。そのため、今回の提案に応じることはそもそも想定しがたい。それにしても通告すらなかったことは、この提案が最初からパレスチナ側を相手にせず、一方的な提案となる予定であったことを象徴的に表す場面であったといえよう。
むしろ異例と思われたのは、アッバース大統領が和平提案の公表を受けてすぐに、ハマースの政治局長イスマーイール・ハニーヤと電話会談をしたことだ。提案の一部にハマースの武装解除が含まれていたため、これに対して強く反発する勢力が武力を用いた抗議行動に出るのを抑える意図が含まれていたと考えられる。