ラグビー日本代表「多様性ジャパン」は分断と対立を超える
The United Brave Blossoms
さまざまなルーツを持つ日本代表が強豪アイルランドを破った(写真は日本代表のリーチマイケル主将) 日刊スポーツ/AFLO
<多国籍チームが象徴する日本の現在地と、その躍進が社会を変える可能性>
イギリスの歴史家、トニー・コリンズは大著『ラグビーの世界史』(邦訳・白水社、2019年)の結論に、およそ学者とは思えないほど感情を込めた一文を添えている。「ラグビーはそれをプレイし、観戦するすべての人のために、情熱、プライド、意味を生み出してきた」と。
ラグビーは意味を生み出す。ならば、このような問いが成り立つ。世界でおよそ強豪とは言えない日本がラグビーワールドカップで、強豪アイルランドを打ち破った一戦の意味はどこにあるのか――。
いくつか考えることができる。前回大会で南アフリカを破ったのに続き、世界を驚かせる大番狂わせの主役になった日本は世界の強豪国に近づいた。長らく低迷してきた日本のラグビー人気に、また火を付けることになる。より魅力的なスポーツコンテンツとしての価値を高めた。いずれもそのとおりだが、ここではラグビーそのものよりも、ラグビー日本代表というチームが映し出す理想像に注目したい。
私が考える「意味」はこうだ。日本社会にとって勝利の「意味」、それは排他性とは真逆のベクトル、すなわち多様性の力を感じさせたことにある。
広がりつつある「日本人」
ラグビー日本代表が発表されるたびに繰り返されてきたのが、「外国人が多過ぎる」という批判だった。確かに今大会もメンバー31人中、実に15人が外国出身者である。批判はいくつか大事な視点を見落としている。
前提としてラグビーでは、代表の条件に国籍は入っていない。日本での居住年数など一定の条件を満たせば、どこで生まれても、どんなルーツであっても日本代表になることができる。国籍に関係なく、開かれているのがラグビーの世界だ。
他のスポーツが採用する国籍主義ではなく、協会主義と呼ばれているルールの原点は、ラグビー発祥の地であるイギリスにある。19~20世紀前半に繁栄を誇った大英帝国で、植民地出身者がどこの代表になるのか。議論が重ねられた結果、国籍よりも出生地、居住を条件として重んじるルールが定まってきた。
帝国発祥のルールは、100年以上の時を経て、グローバル化が進行した日本で、新しい「意味」を持つことになった。