パレスチナ人58人が死亡したガザでの衝突をハマースの責任に転嫁するアメリカ
ガザで衝突があった翌日、ベルリンでも抗議デモが行われた (撮影:錦田愛子)
<中東和平交渉の相手方として立場を維持してきたアッバース大統領は四面楚歌の状況...>
2018年5月15日、ドイツの首都ベルリンのブランデンブルク門の前には300名余りの人々が、パレスチナ占領(アラビア語で「ナクバ」)70年の抗議デモに集まった。
ときおり激しく降る雨の中、濡れそぼったパレスチナの旗の水を振り落としながら、ベルリン在住のパレスチナ人と左派系ドイツ人はそれぞれの思いを叫んだ。壇上での演説やシュプレヒコールなどが続き、デモは2時間余り続いた。在独アメリカ大使館前の冷え込んだ広場には運動参加者以外には、十数台のパトカーと警察以外に人気はなく、厳重な警戒の中で集会は粛々と進められた。
鎮圧に実弾が使用されたガザの「虐殺」
前日14日のエルサレムへのアメリカ大使館移転の日には、ガザ地区東部のイスラエルとの境界線沿いで大きな衝突が起きていた。
アラブの放送局マヤ―ディーンの報道によると、その日のうちに死者58名、負傷者2771名を出す事態となった。一日の死者数が50名を超えるのは2014年のガザ戦争以来で、パレスチナの各紙やアル=ジャジーラ含めアラブ・メディアはこれをガザでの「虐殺」と報じている。大きな犠牲をしのび、集会では殉教者に対する黙祷がささげられた。
衝突がこのように大規模なものに発展したのはなぜか。直接の要因としては、アメリカ政府関係者の来訪で厳戒態勢が敷かれる中、鎮圧に実弾が多用されたことが指摘されるだろう。イスラエル側は、3月末に始まった一連のデモの開始当初より、ガザ地区からの越境侵入は断固阻止する旨を発表していた。
記念日や式典に関わらず、イスラエルにとっては境界の維持と治安管理が至上命題である。死傷者の大半は20代の若者だが、催涙ガスなどにより死者には10代以下の子どもも含まれることとなった。
アメリカはハマースによる扇動の結果だと非難したが
米ホワイトハウスのシャー大統領副報道官は14日の記者会見で、衝突の激化をハマースによる扇動の結果だと非難した。すべての責任をハマースに着せるのはイスラエル政府の用いる常とう手段だ。とはいえ実際には、運動にはハマース支持者以外の参加者も含まれる。直前に「帰還の行進」委員会が多くの呼びかけを送ったのは確かだが、動員だけで何万人もの人々が集結したとは考え難い。
その日に起きた出来事、すなわちアメリカ大使館の移転が、パレスチナにとっては聖地の冒涜であると同時に、占領の追認と固定化を意味する許しがたい挑発行為であったからこそ、衝突はここまでエスカレートしたといえるだろう。ブランデンブルク門前での集会では、パレスチナの政治党派の旗は一切掲げられていなかった。