トルコがシリアへ侵攻し、クルドが切り捨てられる
トルコ-シリア国境のトルコ軍 Umit Bektas-REUTERS
<シリア内戦の終結やイスラーム国根絶に一役買ってきたクルド人だが、今やすべての当事者から切り捨てられる存在となった>
クルド人はシリア内戦の当事者たちが折り合う結節点であり続けている──ロジャヴァ(西クルディスタン移行期民政局)が支配するアレッポ県北西部のアフリーン市一帯へのトルコ軍の侵攻は、このことを再認識させる。
内戦の当事者たちを繋ぐ「バッファー」(緩衝材)だったクルド
ロジャヴァは、国際紛争としてのシリア内戦を終息に向かわせるカギとなったアクターだった。それは、この組織(あるいは機関)が、ロシア、米国、イラン、そしてバッシャール・アサド政権と微妙な距離を保ってきたことの結果でもあった。
ロジャヴァを主導するクルド民族主義組織の民主統一党(PYD)は、「アラブの春」がシリアに波及する以前から、アサド政権の退陣をめざす一方、弾圧から住民を守るとして、人民防衛部隊(YPG)や女性防衛部隊(YPJ)を養成してきた。だが、体制転換は政治的に行うと主張し、シリア内戦下でも政権と戦火を交えることはほとんどなかった。
PYDはその代わりに、イスラーム国やアル=カーイダ系組織のシャームの民のヌスラ戦線(現在の呼称はシャーム解放委員会)が主導する反体制派との戦いにYPGを投入し、「テロとの戦い」においてアサド政権と戦略的に共闘した。
こうしたPYDの姿勢は、アサド政権を後援するロシアとイランからの支援を促した。また、有志連合を率いてイスラーム国掃討作戦を推し進めていた米国も、YPGを「協力部隊」(partner forces)とみなした。2015年半ばに米国の肝煎りで結成されたシリア民主軍が、YPGを主体とし、イスラーム国の首都と目されたラッカ市解放戦の中軸を担ったことは周知の通りだ。
ロジャヴァは、内戦の当事者たちを繋ぐ「バッファー」(緩衝材)のような役割を担った。その結果、イスラーム国に対する包囲網が強化されるとともに、反体制派(そしてイスラーム国)に対するアサド政権の優位が確定し、ロシア主導のもとでシリア内戦は終わりへと向かった。
イスラーム国が壊滅すると存在意義は失われていった
しかし、2017年末にシリアとイラクでイスラーム国が事実上壊滅すると、バッファーとしてのロジャヴァの存在意義は失われていった。事態に対処するべく、ロジャヴァは北シリア民主連邦を樹立し、自治体制を拡充しようとした。9月には連邦における最小の行政機関にあたるコニューンの首長選挙が、また12月には村、町、区、市、郡、地区といった行政区画における議会選挙が実施され、2018年1月までに、各議会の議長が選出されていった(拙稿「シリアで「国家内国家」の樹立を目指すクルド、見捨てようとするアメリカ」2017年8月19日)。
北シリア民主連邦は、ロジャヴァ支配地域を構成する三つの地域(ジャズィーラ、ユーフラテス、アフリーン)の議会と、連邦議会に相当する北シリア民主人民大会を選出することで正式に発足するはずだった。だが、イラク・クルディスタン地域での独立に向けた動きが内外の反発を受けて頓挫したように、ロジャヴァ支配地域で1月に予定されていた総選挙は無期延期となった。