バノン氏との出会い――中国民主化運動の流れで
2017年11月15日、シンポジウム会場におけるバノンと筆者 写真は筆者提供
11月15日、バノン氏と会った。ワシントンにいる中国民主活動家主催のシンポジウムで座長を頼まれ、そこでバノン氏が講演したからだ。運命的な出会いにより、バノン氏は再来日に当たり筆者を単独取材した。
奇跡的なタイミング
11月15日、筆者は代々木にあるオリンピック青少年センターで開催された「人権、民主と和平を推進する」というシンポジウムで座長を務めるように頼まれていた。頼んできたのはワシントンで中国の民主化のために闘っている「公民力量」の韓連潮博士だ。中国の人権派弁護士として劉暁波にノーベル平和賞を受賞させるためにキャンペーンを張り、成功まで導いていった人物である。
14日の夜から始まった開幕式にも参加するため、筆者は前日の夜はオリンピックセンターの近くのホテルに一泊していた。バノン氏の講演の受け付けは朝9時から始まるが、セキュリティ・チェックは前夜済ませてあるので、講演が始まる9時半ギリギリの時間帯にタクシーで会場の駐車場に乗りつけた。
タクシーから降りると同時に、後ろから大きな車が滑り込んできて、数名の背の高い頑丈そうな男性がその車を囲んだ。
まさか――、と思ったが、予感は的中した。
大きな車から降りてきたのは、まさにスティーブン・バノンその人だったのである。
筆者はバノン氏の講演直後の同じ会場で10時半から始まるシンポジウムの座長を頼まれている。講演が終わったら、バノン氏はきっと大勢の記者に取り囲まれるだろうけど、その合間に何とか名刺交換だけでもできれば嬉しいと思っていたものだから、この瞬間、多くの思いがよぎった。
そうだ、ここで挨拶してしまおう――。
そう思って、ともかく名前を名乗り、名刺を渡して挨拶をしたところ、ボディガードに取り囲まれた。そしてそのままエレベーターの前に。
エレベーターの待ち時間は、ほんの10秒ほどであったかもしれない。ここで勇気を出して持参してきた『毛沢東 日本軍と共謀した男』の英文ダイジェスト版"Mao Zedong, Founding Father of the People's Republic of China, Conspired with the Japanese Army"を渡すべきか否か迷った。しかし彼を囲むボディ・ガードの目つきが鋭く、彼に接近できないように体でガードを固めている。これを突破する勇気はさすがにない。
ところがバノン氏が秘書らしいボディガードに指示を出したではないか――。
「おい、君、君も彼女から名刺をもう一枚もらっておいてくれ。記録しておきたまえ」
それは奇跡的な一瞬だった。