日本の対中観が現実と乖離する理由──阿南友亮教授インタビュー
中国の歴史を動かしてきたのはショーウインドーのような大都市の富ではなく国土の大半を占める農村の不満 Jason Lee-Reuters (TOP); Aly Song-Reuters (BOTTOM)
<ニューズウィーク日本版10月17日発売号(2017年10月24日号)は「中国予測はなぜ間違うのか」特集。政治も経済も問題だらけで間もなく破綻する――そんな「中国崩壊論」はなぜ生まれ、なぜ外れるのか。党大会を控えた中国を正しく読み解く方法を検証する本特集から、東北大学・阿南教授のインタビューを転載する。根拠なき礼賛と悲観が生み出される背景には何があるのか>
一昔前は「日中友好」、近年は「中国台頭」、そして今は「中国崩壊」。日本の書店に並ぶ中国関連本の顔触れはその時々の日本の対中観を映し出す。
そうした中国イメージの混乱を経て、親中でも反中でもない冷静な視点が現れ始めた。そうした論者の1人であり、中国人民解放軍と中国共産党の関係を研究する東北大学の阿南友亮(あなみ・ゆうすけ)教授に、本誌・深田政彦が聞いた。
――日本の対中観が現実と乖離し始めたのはいつ頃か。
戦前の日本にも、中国の革命や近代化に大きな期待を寄せる声があった。その一方で、軍官民問わず「支那通」と呼ばれる専門家が現地での経験に基づき、中国の近代化が一筋縄ではいかないという見解を示していた。
戦後の日本では、そういった中国の近代化に悲観的な見方(中国停滞論)が「対中侵略の正当化」につながったとして、それをタブー視する風潮が強まった。また、マルクス主義が言論界においてプレゼンスを強めていったなかで「社会主義国となった中国は資本主義の日本よりもずっと先を行く先進国だ」という認識まで出現した。
――実際には日本が高度成長を遂げる一方、中国では大躍進運動や文化大革命の混乱により悲惨な状況が続いた。
中国との交流が制限されていた当時の環境では、そうした悲惨な実態を覆い隠す中国共産党の巧妙なプロパガンダが日本人の対中認識に強い影響を及ぼしていた。そのプロパガンダと実態との間に大きなギャップがあるということが日本で広く認識されるようになるのは、70年代後半から80年代にかけてのこと。特に89年の天安門事件のインパクトは大きかった。
――それが日本の対中観が現実性を取り戻すチャンスだった。
ところがおかしなことに、その後日本社会は、これまた中国共産党のプロパガンダという要素を多分に含んだGDPの統計を安易にうのみにするようになり、そこから今度は中国台頭論が出てきた。確かにこの30年で都市部の景観は大きく変わったが、1人当たりのGDPを見ればようやく8000ドルを超えたところ(日本は3万8000ドル、アメリカは5万7000ドル)。数億人の貧しい農民を抱える農村部を見れば、日本の高度成長と似て非なるものなのは明らかだ。
――中国台頭論が盛んなのは日本だけではないのでは。
「中国が新たな超大国となり、アメリカを中心とする既存の世界秩序に挑戦するのは必然の成り行きだ」とする台頭論は、アメリカでも盛んに議論されている。そうした台頭論は、1+1=2というシンプルな論理に基づいている。つまり、「14億の人口」+「経済発展」=「アメリカに匹敵する大国」というロジックだ。
だが経済発展に伴うすさまじいまでの格差拡大とそれを原因とする社会不安の深刻化を考えれば、1+1は1.4くらいにとどまるかもしれず、0.8といったシナリオさえも否定できない。つまり、経済発展によって国内体制がかえって動揺することも十分あり得る。