「プレイボーイ」を創刊した男とプレイメイトたち
75歳の誕生日ケーキを前にプレイメイトたちと(2001年5月) REUTERS
<50年代に創刊され、アメリカに「セックス革命」をもたらした男性誌プレイボーイ。創刊者で自らもその生き様を体現したヒュー・ヘフナーが91歳で死去した>
米男性誌「プレイボーイ」を創設し、そのブランド力でアメリカのエンタテインメント業界を牽引した伝説の男、ヒュー・ヘフナーが27日、ビバリーヒルズの「プレイボーイ・マンション」で死去した。91歳だった。
ヘフナーは27歳だった1953年にプレイボーイの創刊号を発刊。アメリカがピューリタニズム(潔癖主義)と社会規範に縛られていた時代に、グラビアで女性のヌード写真を掲載する。常識破りの「セックス革命」を成し遂げた。
プレイボーイ・エンタープライズ社によると、現在プレイボーイは世界20以上の国で販売され、バニーマークの商標は年間10億ドル以上の収益を上げている。
ヘフナーは、これまでウォルト・ディズニーや映画『市民ケーン』といった時代の先駆者と並び称されてきたが、ニューヨーク・タイムズ紙は追悼記事で、ヘフナー自身が「(プレイボーイブランドの)1つの商品」だったと評している。
ビバリーヒルズの豪邸「プレイボーイ・マンション」でプレイメイトの女性たちや有名人、奇抜な人々を集めて贅沢三昧のパーティーを催し、ラフなシルクのパジャマ姿で登場したり、スモーキングジャケット(タキシードの一種)で決めたりしたが、常に洗練されたイメージは崩さなかった。
「プレイボーイ」を地で行く派手な私生活も常に話題で、2013年のインタビューではそれまでベッドを共にした女性の人数について「多すぎて正確な数はわからないが、1000人は確実に超えている」と語っている。また86歳だった2012年に、60歳年下の元プレイメイト、クリスタル・ハリスと結婚して注目を集めた。
プレイボーイの世界観を貫いた男ヘフナーを写真で振り返る。