最新記事

いとうせいこう『国境なき医師団』を見に行く

子供、子供、子供――マニラのスラムにて

2017年4月20日(木)16時40分
いとうせいこう

スラムの元気な子供たち(スマホ撮影)

<「国境なき医師団」(MSF)を取材する いとうせいこうさんは、ハイチ、ギリシャで現場の声を聞き、今度はマニラを訪れた>

これまでの記事:「いとうせいこう、『国境なき医師団』を見に行く
前回の記事:「私たちは「聖人君子の集まり」じゃない!

その奥へ

翌日11月24日は朝から曇っていた。

早朝にオフィスへ行き、そこから車に乗り直していつもの橋を渡ったものの、車はやがてUターンをし、右に折れた。

一本道だった。ゴミの山があちこちにあり、土ぼこりが舞っていた。汚れたベニヤ板を数十枚積んだものの前に、紐で片足を縛られたチャボが細かく歩き回って蝿か何かをついばんでいる。その下からなんの液体かわからない黒い水が凍み出しているのが見えた。工事用トラックのクレーンが視界を覆ったが、そこにハンモックを吊るして青年が眠っていた。

前日までのトンド地区とは明らかに異なる貧困があった。本当のスラムに来たのだとわかった。俺は沈黙したままあたりに目をやり続けた。

やがて左側にフェンスが現れ、遠くからよく見えていた巨大な教会の全貌が知れた。白と青に塗り分けられた塔が空を突き、周囲にはもちろんゴミひとつなかった。その教会がスラムの信仰を集めているわけだった。

俺は道の右側の絶望的な貧しさと、左側の美しい富との差にこそ絶望した。

itou0420b.jpg

スラムの脇の教会

車が止まり、ドアが開いた。ジェームスロセル、そしてジュニーが黙って降りた。俺も広報の谷口さんもあとに続いた。

眼前にバランガイの狭い入り口があった。ロセルによると、その奥に5万5千人がひしめいているのだそうだった。確かあたりは地図上で特に広そうではなかったから、ひとつのバランガイでその数というのは信じにくいことだった。

入り口から中へ入る。いきなり両側から家々の壁が迫った。いったん細い道に出て、また俺たちは奥へ足を進めた。

家と家の間の、人が一人歩けるかどうかの幅の道の左側にコンピュータが並んでいた。いつの機械だかわからない。とにかくジャンクなマシンだらけだった。屋根は家からわずかに突き出ているだけだから、その野外の電子機器が雨などにどう対応しているか、俺はあまりに意外な光景にとまどいながら、そのモニターにユーチューブゲーム画面が映っているのに目を見張った。

簡素なビニール貼りの丸椅子に少年たちが座り、ドットの粗い世界を見つめていた。コンピュータ群のすぐ横にはこれまたいつの時代からタイムスリップしてきたのか、アーケードゲームのようなものがある。

すべて壁を這った電線やら電話線らしきものとつながっているのだが、正規の支払いがなされているとはむろん思えない。盗電であり、盗電話線に違いなかった。それがスラムの娯楽であることを自分は予想だにしていなかった。

洗濯する者、あまりに狭い道の脇に机を出して食べ物を売る者、意味もなく石畳のようなものの上に座っている老婆がいた。家々の中は総じて暗く、しかしビニールの暖簾めいたものが風でちらりとめくれると、3畳ほどのやはりビニール貼りの床の上に母親と息子らしき青年、そして赤ん坊が皆寝転んでテレビを見ていたりした。

ジェームスたちはなお黙ってスラムの中央を目指した。いやどこが中央という概念はないのかもしれなかった。路地は路地につながり、どこまでも果てがないように思った。

とにかく子供が多かった。髪の毛がくしゃくしゃなのは男児も女児も同じだった。

どこまで行っても子供が走り、子供が立ち尽くし、子供が笑い、子供が体をぶつけ合わせていた。それが道ゆく俺たちの周囲に、あたかも絡まるように現れては消える。

遠くからリカーン(フィリピンで古くから活動している団体)の通称リナ、マゴアリナ・D・バカランドの声がした。俺たちの隊列がそこを目指しているのはいまや明らかだった。

今、あなたにオススメ
ニュース速報

ワールド

アングル:ルーマニア大統領選、親ロ極右候補躍進でT

ビジネス

戒厳令騒動で「コリアディスカウント」一段と、韓国投

ビジネス

JAM、25年春闘で過去最大のベア要求へ 月額1万

ワールド

ウクライナ終戦へ領土割譲やNATO加盟断念、トラン
今、あなたにオススメ
MAGAZINE
特集:サステナブルな未来へ 11の地域の挑戦
特集:サステナブルな未来へ 11の地域の挑戦
2024年12月10日号(12/ 3発売)

地域から地球を救う11のチャレンジと、JO1のメンバーが語る「環境のためできること」

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    健康体の40代男性が突然「心筋梗塞」に...マラソンや筋トレなどハードトレーニングをする人が「陥るワナ」とは
  • 2
    NewJeansの契約解除はミン・ヒジンの指示? 投資説など次々と明るみにされた元代表の疑惑
  • 3
    【クイズ】核戦争が起きたときに世界で1番「飢えない国」はどこ?
  • 4
    JO1が表紙を飾る『ニューズウィーク日本版12月10日号…
  • 5
    混乱続く兵庫県知事選、結局SNSが「真実」を映したの…
  • 6
    【クイズ】世界で1番「IQ(知能指数)が高い国」はど…
  • 7
    NATO、ウクライナに「10万人の平和維持部隊」派遣計…
  • 8
    健康を保つための「食べ物」や「食べ方」はあります…
  • 9
    韓国ユン大統領、突然の戒厳令発表 国会が解除要求…
  • 10
    シリア反政府勢力がロシア製の貴重なパーンツィリ防…
  • 1
    BMI改善も可能? リンゴ酢の潜在力を示す研究結果
  • 2
    エリザベス女王はメーガン妃を本当はどう思っていたのか?
  • 3
    「1年後の体力がまったく変わる」日常生活を自然に筋トレに変える7つのヒント
  • 4
    リュックサックが更年期に大きな効果あり...軍隊式ト…
  • 5
    ウクライナ前線での試験運用にも成功、戦争を変える…
  • 6
    健康体の40代男性が突然「心筋梗塞」に...マラソンや…
  • 7
    メーガン妃の支持率がさらに低下...「イギリス王室で…
  • 8
    「時間制限食(TRE)」で脂肪はラクに落ちる...血糖…
  • 9
    NewJeansの契約解除はミン・ヒジンの指示? 投資説な…
  • 10
    黒煙が夜空にとめどなく...ロシアのミサイル工場がウ…
  • 1
    朝食で老化が早まる可能性...研究者が「超加工食品」に警鐘【最新研究】
  • 2
    北朝鮮兵が「下品なビデオ」を見ている...ロシア軍参加で「ネットの自由」を得た兵士が見ていた動画とは?
  • 3
    寿命が延びる、3つのシンプルな習慣
  • 4
    「1年後の体力がまったく変わる」日常生活を自然に筋…
  • 5
    朝鮮戦争に従軍のアメリカ人が写した「75年前の韓国…
  • 6
    自分は「純粋な韓国人」と信じていた女性が、DNA検査…
  • 7
    北朝鮮兵が味方のロシア兵に発砲して2人死亡!? ウク…
  • 8
    「会見拒否」で自滅する松本人志を吉本興業が「切り…
  • 9
    ロシア陣地で大胆攻撃、集中砲火にも屈せず...M2ブラ…
  • 10
    足跡が見つかることさえ珍しい...「超希少」だが「大…
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story
MOOK
ニューズウィーク日本版別冊
ニューズウィーク日本版別冊

好評発売中