「親を捨てるしかない」時代に、子は、親は、どうすべきか
<ショッキングなタイトルの『もう親を捨てるしかない』だが、なぜいま高齢者を家に抱えることがリスクになっているのか。家や家族との関係が脆くなった時代に、超長寿社会という厳しい現実が突きつけられる>
『もう親を捨てるしかない――介護・葬式・遺産は、要らない』(島田裕巳著、幻冬舎新書)とは、なんともショッキングなタイトルである。その背後にあるのは、親の介護に悩み、疲れ果てた末の結果として起きてしまう介護殺人だ。このところ殺人の件数自体は減っているのに、介護殺人だけは大幅に増えているのだという。
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しかし当然のことながら、筆者は介護殺人を容認しているわけではない。むしろ逆で、介護殺人という最悪の状況にならないために親を捨てるべきだと主張するのである。
そんなことを言い出せば、「人非人」であるという非難を覚悟しなければならない。
たしかに、介護が必要になった親を捨てるなどという行為は、相当に残虐なことであるように思える。
介護殺人に至った人々の場合も、介護を必要とする親が邪魔になったから殺したわけではない。
殺したくはないが、状況があまりに過酷で、生活が成り立たなくなり、精神的に追い込まれていったからこそ、やむを得ず親を殺し、その罪を背負うために自分も死のうとしたのである。
しかし、親を捨てていれば、介護殺人に至ることはない。(中略)
たとえ、温情判決が出て、刑務所行きは免れたとしても、自分の親を手にかけたという事実は消えない。人生の最後まで、それを背負っていかなければならない。
ならば、親を捨てた方がいい。親もまた、捨てられることを覚悟すべきではないだろうか。(37~38ページより)
現実に、親捨てに近いことは行われているのだそうだ。親と子どもが同居していても、それぞれの世帯に分ける「世帯分離」がそれ。シェアハウスのように、「同居人ではあっても、同じ世帯になるわけではない」という状態で、おもに介護費用や保険料を節約するために行われている「裏ワザ」だ。つまりは住民票上のことであり、親の世帯と子供の世帯とを分けるということ。そうなると子どもの収入が加算されなくなるため、介護サービスなどを受けている場合に、負担する額が大幅に減るのだ。
とはいえ、裏ワザはやはり裏ワザでしかない。また、住民票上は世帯を分離しても親子の同居は続けるので、実際に親を捨てることにはならない。
ところが、この世帯分離が書類上の裏ワザではなく、現実のものとなる場合もあるのだそうだ。たとえば年金や生活保護で生活している親のもとに失業した息子が帰ってきて、単身者世帯から2人世帯になったような場合、親の生活保護は打ち切られ、その一方で月々の負担は増えることになる。そうして親子ともども窮状に追い詰められた末、親が再び生活保護を受けられるよう、世帯を分離させるのである。実際にそうした人たちのケースが、ここでも紹介されている。
しかし考えてみると、高齢者を家に抱えることは、いまにはじまったことではない。なのになぜ、最近になってそれがリスクになってきたのだろうか? その原因のひとつとして、著者は「日本人があまりにも長生きするようになった」ことを指摘している。たしかに、人類にとっての夢であった長寿は実現された。だが、それで私たちが幸福になれたかといえば、必ずしもそうではないということだ。
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