中国、安倍首相のアフリカ訪問を警戒――日本を常任理事国入りさせてはならない!
第6回アフリカ開発会議に出席するためケニアに到着した安倍首相 Thomas Mukoya-REUTERS
安倍首相は第6回アフリカ開発会議に出席し多くの支援を約束したが、中国は日本が国連安保理常任理事国入りをもくろんでいるとして非難報道を展開している。しかし中国に、それを言う資格があるのだろうか?
安倍首相、第6回アフリカ開発会議(TICAD6)で支援約束
8月27日、ケニアの首都ナイロビで開幕した第6回アフリカ開発会議(TICAD6)に参加した安倍首相は、今後3年間にわたりアフリカに約3兆円規模の投資をするとともに、1000万人の人材育成を行なうことを約束した。これからのアフリカの経済発展のポテンシャルを考えると有意義なことと言っていいだろう。
一方中国はすでに6兆円規模の投資に着手しており、日本は金額においては中国に及ばない。
ただ技術の高さと企業の信頼性においては、日本は中国を遥かに超えているので、日本に期待するアフリカ諸国も少なくないだろう。
おまけに中国は企業投資をしても中国人労働者を伴って動くので、現地の雇用を増やすことが少なく、また公害を生む企業などは、「中国に危害を与えない」として、アフリカに移転させる場合もある。中国ではすでに高所得層も少なくないため、環境汚染をさせる工場を設立しようとすると、地元住民の反対を受けて設立できないことが多いからだ。高所得層は多くのマンションを購入しては、やがて転売して儲けようと待ち構えている。環境汚染を招くような工場が建つと、マンションの商品価値が落ちるので猛烈な反対運動に遭う。
したがって金額だけの問題ではないのだが、中国とアフリカとの関係は、何と言っても1950年代からの毛沢東の戦略にさかのぼるので、その歴史と深度において、中国アフリカ関係を理解しておかねばならない。
中国とアフリカの関係
1949年に誕生した中華人民共和国だったが、当時国連で「中国」として承認されていた国家は「中華民国」だったので、毛沢東はアメリカにも(旧)ソ連にも属さない「第三世界」の概念に基づいて、時の周恩来首相にアジア・アフリカ会議開催に向けて積極的に働きかけさせた。その結果、1955年4月にインドネシアのバンドンで初めてのアジア・アフリカ会議が開催された。開催された地名により、バンドン会議とも呼ばれる。
バンドン会議は続かなかったものの、毛沢東はバンドン精神を活用して、「第二次世界大戦まで植民地化されていて、第二次世界大戦終了とともに独立した第三世界の国家」と親交を深めることを国家戦略とした。それらはほとんどが社会主義国家で、アフリカ周辺国にも及んでいた。