最新記事

クーデター

あの時、トルコ人はなぜ強権体質のエルドアンを守ったのか

2016年7月21日(木)19時15分
ナタリー・マーティン(英ノッティンガム・トレント大学講師、専門は政治学と国際関係論)

Huseyin Aldemir-REUTERS

<先週末の未遂に終わったクーデターで誰もが目を疑ったのは、エルドアン大統領の呼びかけに応えて多くの市民が立ち上がったことだ。法の支配も報道の自由もなくなることを知りながら、エルドアンを助けた市民の正体とその行く末は> (写真は先週末のクーデターで、反乱派の戦車に群がった市民)

 トルコではこれまでにもたびたび軍事クーデターが繰り返されてきた。60年、71年、80年には軍部が全権を掌握。かろうじて未遂に終わった企ても多くあり、改革が必要になれば軍はいつでも動くという警告を暗に政府に突きつけてきた。

 そうであっても、トルコ最大の都市イスタンブールのボスポラス海峡にかかる橋が反乱軍に封鎖されたというニュースは人々を驚かせた。だが15日のクーデターはそもそもの初めから失敗を運命付けられていた。関与を疑われた何千人もの人々は厳しい処罰を受け、場合によっては死刑になる可能性もある。

【参考記事】トルコは「クーデター幻想」から脱却できるか

 それ以上に世界を驚かせたのは、大勢の市民が街頭に出て、反乱軍の兵士に立ち向かったことだろう。怒った群衆が兵士を取り押さえ、暴行を加える異様な光景に人々は目を疑った。

 大勢の男たちがレジェップ・タイップ・エルドアン大統領の呼び掛けに応じてクーデターの鎮圧に協力した。今のトルコでは市民の自由は極端に制限され、政府批判はいっさい許されない。強権体質で悪名高いエルドアンを守るために、なぜこれほど多くの市民が立ち上がったのか。

 エルドアンが強権支配に傾き始めてほぼ10年。エルドアンと与党・公正発展党(AKP)の支持者を除けば、トルコの人々はみな息苦しさを感じている。政府はメディアを統制し、法の支配を形骸化させ、非暴力の抗議を容赦なく弾圧してきた。トルコは表向きは民主主義の国であり、エルドアンは選挙で選ばれた指導者だが、市民の自由は完全に奪われている。

【参考記事】アメリカがギュレン師をトルコに引き渡せない5つの理由

 建国の父ケマル・アタチュルクが国是に掲げた世俗主義。伝統的にその忠実な守り手だった軍部は、イスラム政党のAKPと緊張関係にあった。言うまでもなくクーデターは権力奪取の民主的な手法ではない。だがトルコでは、国民的英雄であるアタチュルクが目指した民主的な統治を守るために、軍部が政治に介入してきた歴史がある。

不寛容な統制ムードが漂う現体制

 エルドアン政権は2期目を迎えた07年以降、でっち上げの容疑による捜査で軍内部の世俗派の切り崩しを進めてきた。その手法は、政権転覆の企てに関与したとして上級将校を大量に逮捕し(その大半は厳格な世俗派だ)、政権寄りの人物をその後釜に据えるというものだ。こうした捜査では学者、ジャーナリスト、弁護士らも逮捕され、不寛容な統制ムードがトルコ社会全体を覆うようになった。国民の半数はAKPを支持しておらず、彼らの多くはエルドアンの強権体質に危うさを感じている。

 だがエルドアンは今回、民衆扇動に長けたポピュリスト政治家の本領をいかんなく発揮し、あっという間にクーデターを鎮圧してみせた。国民の半数近くは反エルドアンでも、残りの半数以上の人々はエルドアンの熱狂的な支持者だ。エルドアンは、世俗派エリートの支配下で不遇をかこってきた保守的なイスラム主義者を優遇して、彼らの懐を豊かにし、自尊心をくすぐってきた。

【参考記事】トルコ・クーデター未遂とエジプト政情不安の類似点

 イスラム主義者は半世紀も不遇に耐えてようやく手に入れた権益をそう簡単には手放さない。エルドアンが彼らを簡単に動員できたのはそのためだ。おまけに、反エルドアンの市民も再び軍政が敷かれることは望んでいない。つまり、クーデターが市民の支持を勝ち取る可能性はゼロだったということだ。独裁的なエルドアンは多くの市民に嫌われているが、軍事独裁の復活もまた、市民に歓迎されるはずがない。軍政時代の悪夢の記憶はトルコ人の意識に強く刻み込まれている。「最悪の民主主義でも軍政よりはましだ」――ソーシャルメディアではそんな言葉が飛び交っている。

でっち上げ説も捨てきれない

 中心的なメンバーとされる人々が次々に逮捕されている今も、未遂に終わったクーデターを誰が企てたかは不明だ。軍部にいた世俗派の残党かもしれないし、アメリカに亡命しているイスラム教指導者フェトフッラー・ギュレンの支持者かもしれない。エルドアンが残った政敵を一掃するために仕掛けた自作自演のクーデターだ――トルコの人々の間では、そんな噂もささやかれている。まさかと思われるかもしれないが、この10年でっち上げの容疑で次々に政敵を葬り去ってきたやり方からすれば、あり得ないシナリオではない。

 いずれにせよ300人近い死者を出し、何万人もの人々の自由を奪ったクーデター未遂で、政治的な勝利をもぎ取ったのはエルドアンだ。彼はこれを奇貨として、プーチン式の強権支配を一段と強化しつつある。表現と結社の自由は今やAKPの支持者だけに認められた権利だ。

 法の支配と報道の自由はとっくに骨抜きにされている。トルコの人々の生活は今後ますます息苦しいものになるだろう。

The Conversation

Natalie Martin, Lecturer in Politics and International Relations, Nottingham Trent University

This article was originally published on The Conversation. Read the original article.

今、あなたにオススメ
ニュース速報

ビジネス

米EV税控除、一部重要鉱物要件の導入2年延期

ワールド

S&P、トルコの格付け「B+」に引き上げ 政策の連

ビジネス

ドットチャート改善必要、市場との対話に不十分=シカ

ビジネス

NY連銀総裁、2%物価目標「極めて重要」 サマーズ
今、あなたにオススメ
MAGAZINE
特集:世界が愛した日本アニメ30
特集:世界が愛した日本アニメ30
2024年4月30日/2024年5月 7日号(4/23発売)

『AKIRA』からジブリ、『鬼滅の刃』まで、日本アニメは今や世界でより消費されている

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1

    ロシア兵がウクライナ「ATACMS」ミサイルの直撃を受ける瞬間の映像...クラスター弾炸裂で「逃げ場なし」の恐怖

  • 2

    屋外に集合したロシア兵たちを「狙い撃ち」...HIMARS攻撃「直撃の瞬間」映像をウクライナ側が公開

  • 3

    ウクライナ軍ブラッドレー歩兵戦闘車の強力な射撃を受け、炎上・爆発するロシア軍T-90M戦車...映像を公開

  • 4

    テイラー・スウィフトの大胆「肌見せ」ドレス写真...…

  • 5

    サプリ常用は要注意、健康的な睡眠を助ける「就寝前…

  • 6

    ロシア軍「Mi8ヘリコプター」にウクライナ軍HIMARSが…

  • 7

    ロシア軍の拠点に、ウクライナ軍FPVドローンが突入..…

  • 8

    常圧で、種結晶を使わず、短時間で作りだせる...韓国…

  • 9

    ロシア「BUK-M1」が1発も撃てずに吹き飛ぶ瞬間...ミ…

  • 10

    「TSMC創業者」モリス・チャンが、IBM工場の買収を視…

  • 1

    ロシア「BUK-M1」が1発も撃てずに吹き飛ぶ瞬間...ミサイル発射寸前の「砲撃成功」動画をウクライナが公開

  • 2

    一瞬の閃光と爆音...ウクライナ戦闘機、ロシア軍ドローンを「空対空ミサイルで撃墜」の瞬間映像が拡散

  • 3

    どの顔が好き? 「パートナーに求める性格」が分かる4択クイズ

  • 4

    AIパイロットvs人間パイロット...F-16戦闘機で行われ…

  • 5

    ロシア兵がウクライナ「ATACMS」ミサイルの直撃を受…

  • 6

    「2枚の衛星画像」が伝える、ドローン攻撃を受けたロ…

  • 7

    屋外に集合したロシア兵たちを「狙い撃ち」...HIMARS…

  • 8

    常圧で、種結晶を使わず、短時間で作りだせる...韓国…

  • 9

    ロシアの大規模ウクライナ空爆にNATO軍戦闘機が一斉…

  • 10

    メーガン妃の「限定いちごジャム」を贈られた「問題…

  • 1

    ロシア「BUK-M1」が1発も撃てずに吹き飛ぶ瞬間...ミサイル発射寸前の「砲撃成功」動画をウクライナが公開

  • 2

    韓国で「イエス・ジャパン」ブームが起きている

  • 3

    「おやつの代わりにナッツ」でむしろ太る...医学博士が教えるスナック菓子を控えるよりも美容と健康に大事なこと

  • 4

    最強生物クマムシが、大量の放射線を浴びても死なな…

  • 5

    「燃料気化爆弾」搭載ドローンがロシア軍拠点に突入…

  • 6

    ロシアが前線に投入した地上戦闘ロボットをウクライ…

  • 7

    世界3位の経済大国にはなれない?インドが「過大評価…

  • 8

    一瞬の閃光と爆音...ウクライナ戦闘機、ロシア軍ドロ…

  • 9

    タトゥーだけではなかった...バイキングが行っていた…

  • 10

    NASAが月面を横切るUFOのような写真を公開、その正体…

日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story
MOOK
ニューズウィーク日本版別冊
ニューズウィーク日本版別冊

好評発売中