米黒人少年射殺を「模範」に弾圧を正当化するミャンマー
アメリカの市民やデモに対する過剰取り締まりは、独裁国家の弾圧の格好の口実になっている
憤怒 軍政時代に逆戻りか、と思わせる市民への暴力(3月、レトパダン) Soe Zeya Tun (MYANMAR)-REUTERS
アメリカで抗議デモや暴動が起こったとき、警官に軍隊仕様の武器や武装車両を持たせるべきでない理由は、挙げればきりがない。
だがここに1つ、思いもよらなかった理由がある。
今からちょうど1年前、ミズーリ州ファーガソンで白人警官が丸腰の黒人少年を射殺した。怒って集まった群衆を、警察は催涙ガスやゴム弾で蹴散らした。こうした過剰な取り締まりは、反政府デモを力づくで鎮圧しようとする世界の独裁政権に格好の口実を与えているのだ。
その一例がミャンマー(ビルマ)だ。数十年わたる軍政下で市民を抑圧し、世界各国から非難を浴びてきた。今は独裁制から民主制に生まれ変わる産みの苦しみの最中だ。だが道のりはまだまだ遠い。それを露呈したのが3月、レトパダンという小さな町で、教育制度の改善を求める平和的な学生や僧侶のデモを警官が襲った事件だ。警官たちは猛り狂い、警棒で学生の頭を殴っては片っ端から逮捕した。十数人の学生は、そのまま1カ月近く拘束された。
ミャンマーは軍政時代に逆戻りしているのではないかと、専門家は緊張した。だがそんな心配は無用だと、ミャンマーのイエートゥ情報相は言う。アメリカだって、デモを力づくで制圧することがあるじゃないか。リーマンショック後に発生したウォール街占拠デモのときも、警察は催涙スプレーを使うなどして散会させた。「それでも、アメリカの民主主義が後退していると言う人はいない」とイエートゥは言う。
さらに、これは個々の警官の資質の問題、あるいは感情コントロールの問題だとイエートゥは言う。「アメリカでも、過度の緊張下で過剰反応してしまう個人はいる。行動規範をいかに徹底するかの問題だ」「極めて感情的になってしまうような現場もある。だからこそ、怒りをコントロールできるようにしなければならない」
ほくそ笑むミャンマー当局
米政府は長年、反体制派を弾圧するミャンマーの軍政を批判し、反体制派の重要人物をもてはやし、物心両面で支援してきた。3月には、バラク・オバマ米大統領が半世紀前の黒人差別反対デモ「セルマ大行進」の記念式典に出席した際、ミャンマーの「軍政に屈服するより牢獄に入ることを選んだ」多くの反体制派をたたえた。