単純化できないシリアの惨劇
自由を求める反政府軍を弾圧する独裁者アサド──メディアが描く構図は本当に正しいのか
一触即発 シリアから砲撃を受け戦争準備を整えるトルコ軍(10月4日) Murad Sezer-Reuters
「アラブの春」をきっかけにシリアで騒乱が始まって1年半。反政府デモから事実上の内戦状態に拡大し、既に国内の死者は2万人に達するともみられている。しかし事態収拾の出口は見えず、最悪の状況を前に国際社会も何もできずにいる。
シリアで抗議デモが始まったのは昨年1月のこと。3月になってデモが広がりを見せると治安部隊が鎮圧に乗り出した。やがてこれに対抗する「自由シリア軍」など反政府武装勢力と治安部隊の戦闘が各地で始まった。
今年に入り、反政府勢力の牙城である中部ホムスを政府軍が制圧。その一方で、反政府勢力が首都ダマスカスに攻勢をかけるなど一進一退の攻防が続いてきた。7月中旬にダマスカスで起きた爆破テロでは、国防相やバシャル・アサド大統領の義兄である副国防相が暗殺された。
そして今、戦場はシリア北部にある最大の商業都市アレッポに移っている。押され気味のアサド政権側も強気を崩しておらず、政府寄りのアルワタン紙は外交筋のこんなコメントを掲載した。「アレッポを最後の戦場に、政府がテロリスト(反政府勢力)を殲滅し、その後シリアは危機から脱するだろう」
今回のシリア内戦をめぐっては、自由と民主主義を求める反政府勢力がアサド独裁政権による弾圧に苦しめられている、というイメージが特に欧米メディアを通じて浸透している。だが現実はそんなに単純ではない。
シリアは複雑に入り組んだモザイク社会だ。イスラム教スンニ派が国民の70%以上を占めるのに、政治の実権を握ってきたのは同シーア派の分派であるアラウィ派のアサド一族だ。
アサドの父ハフェズの時代から40年間も、人口の10%にすぎないアラウィ派がシリアを支配してきたことにスンニ派は不満を募らせてきた。この対立構造に、キリスト教徒や無数の民族や部族がそれぞれの思惑で絡んできた。
混乱は周辺国に波及する
以前から、アサド政権が崩壊すれば多様なモザイク国家シリアが分裂して内戦に陥る、という懸念はあった。内戦の混乱は必ず周辺国に波及する。それを恐れるが故、周辺国はアサド政権を支持する道を選んできた。アサド失脚がもたらす不安定化のシナリオは、シリアと長年敵対してきた近隣のイスラエルも警戒してきたほどだ。
シリアを代理戦争の場にしているのは、敵対するサウジアラビアとイランだ。前者はスンニ派を後者はシーア派の現政権を支持し、それぞれ武器供与などをしている。さらに歴史的にシリアと良好な関係を築いてきたロシアと、国連安保理決議でシリアを追い詰めたいアメリカの思惑も入り交じる。
デモ発生後、アサドは一貫して事態が沈静化したと見せ掛けようとしてきた。閣僚を総入れ替えして新内閣を発足させ、48年間続いてきた非常事態法を解除。新政党法を承認して複数政党制を可能にし、総選挙も実施した。アラブ連盟や国連監視団も入国させた。一方で、国連・アラブ連盟合同特使のコフィ・アナン前国連事務総長の仲介による停戦合意はほごにしている。