最新記事

南シナ海

中国海軍が出動しない訳

領海を争うフィリピン沖に非軍事の巡視船を派遣した中国の新たな戦略は、国内外を満足させる最良の手段か

2012年8月6日(月)17時50分
トレファー・モス(ジャーナリスト)

温存された海軍 中国がスカボロー礁に派遣したのは軍艦ではなく、急ピッチで増強している巡視船などの法執行艦船だった Carlos Garcia Rawlins-Reuters

 一度はすべてが終わった。だがそれもつかの間、再び事態は緊迫しつある。多くの教訓がそこにある。

 フィリピン沖の南シナ海にあるスカボロー礁(中国名・黄岩島)の領有権をめぐって2カ月以上も一触即発のにらみ合いを続けた後、中国とフィリピンはようやくこの「戦争」に終止符を打ったかに見えた。

 フィリピンのインクワイアラー紙(ネット版)によれば、フィリピン外務省は6月23日までに、中比両国ともこの海域から撤収したことを確認した。中国側は公に撤収を認めようとはしなかったが、スカボロー礁は平和になった。

 それが早くも3日後には中国の巡視船など5隻が戻ってきたと発表する事態になり、さらに2日後、中国国防省は南シナ海に中国政府がつくった「三沙市」に相応の軍機関を設置することを検討すると発表した。

 中国政府は周辺国の反発必至のこの行動を再考し、艦船をすべて呼び戻すべきだろう。それでこそ中国は、自身の新たな外交方針に沿った紛争解決で、世界に誇る実績を挙げることができる。

 実際、中比両国の撤収が確認された頃、中国政府は武力に訴えずして中国の国益を担保できた事の成り行きに満足しているとみられていた。この「スカボロー・モデル」を基礎に海洋戦略を練り直すだろうとも。

 その核心は、軍事力に訴えるハードパワーと、文化や政策の魅力に訴えるソフトパワーの中間戦略路線だ。

 軍事力で押す限り、国際社会の中で自国の主張に正当性を持たせるのは容易ではない。海軍を投入したフィリピンに対し、武力で相手を圧倒する人民解放軍海軍を動員すれば、国際世論は中国が東アジアの覇権を狙っていると猛反発するだろう。

 とはいえ、純粋に外交的な抗議だけでは、領土を侵された屈辱に対して断固たる報復を求める愛国主義的な国内世論が黙っていない。

巡視船の派遣は「軟弱」

 幸い中国政府にはもう1つの選択肢があった。中間戦略の行使を可能にするツールとしての非軍事的な海洋法執行機関とその艦隊だ。

 メディアは、こうした機関が驚くべきペースで強化されているのを見過ごしがちだ。海軍の新しい空母や原子力潜水艦のほうが、平凡な巡視船よりはるかに興味をそそるからだろう。

 だがその間に、中国沿岸で海洋権益保護や違法活動の取り締まりに当たる国家海洋局の海監総隊(CMS)、漁業違反について調査する中国漁政指揮センター(FLEC)、交通運輸省海事局(MSA)などがどんどん力を付けている。スカボロー礁に艦船を派遣したのも、海軍ではなくこれらの3機関だった。

 米海軍大学中国海洋研究所(CMSI)の准教授で、中国の法執行艦隊を研究したライル・ゴールドスタインによれば、アメリカの沿岸警備隊にも似たこの艦隊は海軍の増強ペースを上回り「極めて急速に」拡大しているという。

 これらの海洋機関は合わせて数百隻の艦船を保有している。大半は非武装の小型船だが、ここ10年の間に、比較的大型で最先端の船団が中核に据えられるようになった。より遠くまで航海でき、海上で長時間とどまれて、ヘリコプターを艦載できるような船だ。

 これらの船を軽武装させようとしている節もある。海洋紛争の処理任務を負うとみられるCMSとFLECは伝統的に、非武装船を使ってきた。だが、フィリピン海軍に対峙したFLECの新型艦船は、甲板にマシンガンを装備していた。CMSが大型船に軽火器を装備しているという噂もある。

今、あなたにオススメ
ニュース速報

ワールド

焦点:大混乱に陥る米国の漁業、トランプ政権が割当量

ワールド

米加首脳が電話会談、トランプ氏「生産的」 カーニー

ワールド

鉱物協定巡る米の要求に変化、判断は時期尚早=ゼレン

ワールド

国際援助金減少で食糧難5800万人 国連世界食糧計
今、あなたにオススメ
MAGAZINE
特集:まだ世界が知らない 小さなSDGs
特集:まだ世界が知らない 小さなSDGs
2025年4月 1日号(3/25発売)

トランプの「逆風」をはね返す企業の努力が地球を救う

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    【クイズ】世界で最も「レアアースの埋蔵量」が多い国はどこ?
  • 2
    現地人は下層労働者、給料も7分の1以下...友好国ニジェールからも追放される中国人
  • 3
    一体なぜ、子供の遺骨に「肉を削がれた痕」が?...中国・河南省で見つかった「異常な」埋葬文化
  • 4
    なぜ「猛毒の魚」を大量に...アメリカ先住民がトゲの…
  • 5
    なぜANAは、手荷物カウンターの待ち時間を最大50分か…
  • 6
    不屈のウクライナ、失ったクルスクの代わりにベルゴ…
  • 7
    突然の痛風、原因は「贅沢」とは無縁の生活だった...…
  • 8
    アルコール依存症を克服して「人生がカラフルなこと…
  • 9
    最悪失明...目の健康を脅かす「2型糖尿病」が若い世…
  • 10
    「この巨大な線は何の影?」飛行機の窓から撮影され…
  • 1
    「一夜にして死の川に」 ザンビアで、中国所有の鉱山ダムから有毒の水が流出...惨状伝える映像
  • 2
    テスラの没落が止まらない...株価は暴落、業績も行き詰った「時代遅れ企業」の行く末は?【アニメで解説】
  • 3
    「低炭水化物ダイエット」で豆類はNG...体重が増えない「よい炭水化物」とは?
  • 4
    「テスラ離れ」止まらず...「放火」続発のなか、手放…
  • 5
    【独占】テスラ株急落で大口投資家が本誌に激白「取…
  • 6
    800年前のペルーのミイラに刻まれた精緻すぎるタトゥ…
  • 7
    中国戦闘機が「ほぼ垂直に墜落」する衝撃の瞬間...大…
  • 8
    大谷登場でざわつく報道陣...山本由伸の会見で大谷翔…
  • 9
    「さようなら、テスラ...」オーナーが次々に「売り飛…
  • 10
    【クイズ】世界で最も「レアアースの埋蔵量」が多い…
  • 1
    中国戦闘機が「ほぼ垂直に墜落」する衝撃の瞬間...大爆発する機体の「背後」に映っていたのは?
  • 2
    テスラ離れが急加速...世界中のオーナーが「見限る」ワケ
  • 3
    「テスラ時代」の崩壊...欧州でシェア壊滅、アジアでも販売不振の納得理由
  • 4
    「さようなら、テスラ...」オーナーが次々に「売り飛…
  • 5
    「一夜にして死の川に」 ザンビアで、中国所有の鉱山…
  • 6
    テスラ失墜...再販価値暴落、下取り拒否...もはやス…
  • 7
    「今まで食べた中で1番おいしいステーキ...」ドジャ…
  • 8
    市販薬が一部の「がんの転移」を防ぐ可能性【最新研…
  • 9
    テスラ販売急減の衝撃...国別に見た「最も苦戦してい…
  • 10
    テスラの没落が止まらない...株価は暴落、業績も行き…
トランプ2.0記事まとめ
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story
MOOK
ニューズウィーク日本版別冊
ニューズウィーク日本版別冊

好評発売中