最新記事

スパイ

KGB流に回帰するロシアの国民監視術

盗聴と隠し撮りで反政府派を陥れる情報機関。旧態依然の手口と進歩した盗聴技術が市民の私生活を脅かす

2012年3月9日(金)16時28分
アンナ・ネムツォーワ(モスクワ)

甦る過去 疑惑の影に包まれたクレムリン宮殿 Walter Bibikow-The Image Bank/Getty Images

 1月のある日、ロシアの元下院議員ウラジーミル・ルイシコフと現職の下院議員ゲンナジー・グドコフは、モスクワ市内のクレムリン(大統領府)近くの喫茶店で落ち合って話をした。親しい政治家同士の私的な会話だった。

 ところがその様子が隠し撮りされており、10分間の映像になって動画サイトYouTubeに投稿された。さらに2日後には政府寄りの大衆向けニュースサイトで会話の一部が紹介された。2人が他の野党指導者をどうやって「失脚させる」か、話し合ったとされる部分だ。

 かつて旧ソ連の諜報機関KGBの後身であるロシア連邦保安局(FSB)の工作員だったグドコフには、隠し撮りの方法が手に取るように分かったという。「6人ぐらいによる作戦だ。1人が電話を盗聴し、4〜6人で尾行して店に着く15分前には録画・録音装置を整える」

 彼は作戦経費を30万ドル以上と見積もる。「なぜ公金をそんなことに使うのだろう。テロやクーデターを計画したわけじゃない。2月に予定された合法的な抗議行動に関する話だった」

 かねてからロシアの野党指導者や人権活動家は当局に対し、誰の指示で電話の盗聴や私生活の隠し撮りが行われているのか、調査すべきだと主張してきた。グドコフには、背後にいる人間がはっきりと見えている。「クレムリンは禁じ手を使うようになった。今やFSB以外の6〜7の特殊機関も野党に対するスパイ活動を許可されている」

 しばらく前には反政府派の大物ボリス・ネムツォフも被害に遭った、とグドコフは言う。ソ連時代には市民が隣家の鍵穴をのぞいて見聞きしたことをKGBに告げ口をするといった暗い過去があったものだが、今ではFSBその他の情報機関が、反政府派や市民社会に対するスパイ活動に精を出している。

旧ソ連圏全域が危ない

「この汚い事件を許すわけにはいかない。刑事訴追を目指す」とグドコフは息巻く。確かに国会議員の権限で捜査を要請することは可能かもしれない。

 だが一般市民の場合はまず法的な手段など取れない。ダゲスタン共和国で週刊誌の編集長だったナディラ・イサイエワは、性的に露骨な内容の通話記録をネットで公開された結果、解雇され故郷も追われる羽目になった。誹謗中傷をするウェブサイトのことを、彼女は「汚いニュースを何でも吸い込むごみ集積所」と呼ぶ。

 風刺作家として名高いジャーナリストのビクトル・シェンデロビチも犠牲になった。ネット上に不倫ビデオを流され、劇場公演の中止を余儀なくされた。

「電話の盗聴は旧ソ連圏全域で慣行と化した。KGBと同じ手法だが盗聴や盗撮の技術が進歩した」と、人権擁護団体ヒューマン・ライツ・ウォッチのモスクワ支部長代理タチアナ・ロクシナは指摘する。08年の南オセチア紛争では、グルジアで不審な会話記録文や電話の録音音声がネット上に飛び交ったそうだ。

「ウズベキスタン、ダゲスタン、イングーシ、チェチェンなどで、人と会う約束を電話で交わすことは危険だ。私たちが保護している人たちに、特殊機関がすぐさま接触してくる」と、ロクシナは言う。彼女は情報当局による干渉を中央アジアと北カフカス地方で何度も経験している。

「好むと好まざるとにかかわらず、もう電車は発車した。何か変えたくても手遅れだ」と、情報政策担当の下院議員ロベルト・シュレーゲルは言う。「寝室にもプライバシーはないものと覚悟すべきだろう」。唯一の対策は、「常に自分の言動に気を付けるしかない」

[2012年2月 8日号掲載]

今、あなたにオススメ
ニュース速報

ワールド

韓国史上最悪の山火事、消火作業続く 前日の小雨で進

ワールド

EUの代替燃料目標は達成不可能、欧州航空大手とIA

ビジネス

加ルルレモン、25年度見通しは予想届かず 不透明感

ワールド

米国防長官、フィリピン防衛への関与確認 南シナ海に
今、あなたにオススメ
MAGAZINE
特集:まだ世界が知らない 小さなSDGs
特集:まだ世界が知らない 小さなSDGs
2025年4月 1日号(3/25発売)

トランプの「逆風」をはね返す企業の努力が地球を救う

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    「この巨大な線は何の影?」飛行機の窓から撮影された「謎の影」にSNS騒然...気になる正体は?
  • 2
    一体なぜ、子供の遺骨に「肉を削がれた痕」が?...中国・河南省で見つかった「異常な」埋葬文化
  • 3
    地中海は昔、海ではなかった...広大な塩原を「海」にした、たった一度の「大洪水」とは?
  • 4
    現地人は下層労働者、給料も7分の1以下...友好国ニジ…
  • 5
    800年前のペルーのミイラに刻まれた精緻すぎるタトゥ…
  • 6
    なぜANAは、手荷物カウンターの待ち時間を最大50分か…
  • 7
    「マンモスの毛」を持つマウスを見よ!絶滅種復活は…
  • 8
    「完全に破壊した」ウクライナ軍参謀本部、戦闘機で…
  • 9
    【クイズ】アメリカで「ネズミが大量発生している」…
  • 10
    老化を遅らせる食事法...細胞を大掃除する「断続的フ…
  • 1
    「一夜にして死の川に」 ザンビアで、中国所有の鉱山ダムから有毒の水が流出...惨状伝える映像
  • 2
    中国戦闘機が「ほぼ垂直に墜落」する衝撃の瞬間...大爆発する機体の「背後」に映っていたのは?
  • 3
    テスラの没落が止まらない...株価は暴落、業績も行き詰った「時代遅れ企業」の行く末は?【アニメで解説】
  • 4
    「低炭水化物ダイエット」で豆類はNG...体重が増えな…
  • 5
    「テスラ離れ」止まらず...「放火」続発のなか、手放…
  • 6
    「今まで食べた中で1番おいしいステーキ...」ドジャ…
  • 7
    「さようなら、テスラ...」オーナーが次々に「売り飛…
  • 8
    【独占】テスラ株急落で大口投資家が本誌に激白「取…
  • 9
    800年前のペルーのミイラに刻まれた精緻すぎるタトゥ…
  • 10
    大谷登場でざわつく報道陣...山本由伸の会見で大谷翔…
  • 1
    中国戦闘機が「ほぼ垂直に墜落」する衝撃の瞬間...大爆発する機体の「背後」に映っていたのは?
  • 2
    テスラ離れが急加速...世界中のオーナーが「見限る」ワケ
  • 3
    「テスラ時代」の崩壊...欧州でシェア壊滅、アジアでも販売不振の納得理由
  • 4
    「さようなら、テスラ...」オーナーが次々に「売り飛…
  • 5
    「一夜にして死の川に」 ザンビアで、中国所有の鉱山…
  • 6
    テスラ失墜...再販価値暴落、下取り拒否...もはやス…
  • 7
    「今まで食べた中で1番おいしいステーキ...」ドジャ…
  • 8
    市販薬が一部の「がんの転移」を防ぐ可能性【最新研…
  • 9
    テスラ販売急減の衝撃...国別に見た「最も苦戦してい…
  • 10
    テスラの没落が止まらない...株価は暴落、業績も行き…
トランプ2.0記事まとめ
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story
MOOK
ニューズウィーク日本版別冊
ニューズウィーク日本版別冊

好評発売中