環境保護が地球の未来を潰す?
温暖化や環境汚染で地球の危機が叫ばれるが、歴史上人類は優れた技術を開発することで生活向上と環境の改善を両立させてきた
進歩の過程 開発と汚染は同時に進行するのは昔から同じだが(上海の新築マンション) Carlos Barria-Reuters
18世紀から19世紀半ばまで、欧米諸国の多くでは灯火用の燃料として鯨油が使用されていた。捕鯨産業はピーク時には7万人を雇用。アメリカでは5番目に大きな産業だった。
当時のアメリカは世界一の捕鯨大国。大量の油を生産する捕鯨産業の地位は揺るぎないと思われていた。代替燃料としてラード油やカンフェン(テレビン油とアルコールの混合物)を推す声もあったが、捕鯨推進派は鼻で笑った。鯨油がなければ世界は暗闇の時代に逆戻りするという見方が当時は大勢だった。
だが今では、鯨を殺すことは野蛮な行為と見なされている。
200年前には、環境保護運動は存在しないも同然だった。それでもボストン沖の捕鯨基地ナンタケット島から出航する漁師たちは、大量の鯨を捕るために年々遠くの海まで出掛けなければならなくなっていることに不安を感じたかもしれない。もし鯨を捕り尽くしたらどうなるのだろう、と。
いま流行の「持続可能性」も、こうした疑問が議論の出発点になっている。
先進国は限りある地球の資源を貪欲に貪った。今の生活スタイルを変えなければ、近いうちに悲惨な結果を招く──環境保護派はそう警鐘を鳴らす。
今ではあらゆる場所でこの手の主張を耳にする。今の生活スタイルは利己的で持続可能ではない。森林を伐採し、水と大気を汚し、動植物を殺し、オゾン層を破壊し、化石燃料を大量消費して気温の上昇を招き、「壊れた地球」を未来の世代に残そうとしている......。
つまり、このままでは人類に未来はないというわけだ。
思わずうなずきたくなる主張だが、根本的に間違っている。そしてその影響は甚大だ。環境問題を大げさに騒ぎ立て、多くの人々がそれをうのみにすれば、より賢明な環境対策を追究する努力を妨げかねない。
かつての欧米諸国は大量の鯨油を消費したが、鯨が絶滅しなかったのはなぜか。鯨油の需要増大と価格上昇を受けて、19世紀版の代替エネルギー開発に多額の投資が行われたからだ。まず灯油が鯨油に取って代わり、次に電気が灯油を駆逐した。
人類は長年、自分たちのイノベーション(技術革新)能力を過小評価してきた。馬車の台数が増え続けた時代、人々はロンドンが馬ふんだらけになると本気で心配した。今のロンドンは人口700万人を超える大都市だが、自動車が発明されたおかげで馬ふんに埋もれずに済んだ。
実際、人類の歴史を通じて何度も破滅の危機が叫ばれてきたが、そのたびに危機は回避された。多くの場合、それを可能にしたのはイノベーションだ。