「タカ派」国家に転じたフランスの思惑
チュニジアとエジプトの革命は傍観していたサルコジが、一転してリビアとコートジボワールへの軍事行動に率先して乗り出したのはなぜか
世界の警察? コートジボワールのバグボ元大統領の支持勢力を攻撃するフランス軍(4月11日) Luc Gnago-Reuters
この数カ月の間にアラブ諸国で変革の波が広がるなか、欧州でもある変化が起きている。フランスが軍事的に強硬な姿勢を強めているのだ。
フランスと言えば、03年に米政界のタカ派に嘲笑されながらもイラク戦争に反対した国。なのに今では多国籍軍や国連平和維持活動(PKO)部隊と共に、リビアとコートジボワールに対する軍事行動を率先して進めている。
コートジボワールでは先週、11月の大統領選で敗北した後も大統領職に居座っていたローラン・バグボが、フランス軍によるヘリ攻撃の最中に拘束された。4月12日にはアラン・ジュペ仏外相が、リビアの反政府軍を守るためにNATO(北大西洋条約機構)はさらなる空爆を行うべきだと訴えた。
今年初めに比べると大変な変わりようだ。チュニジアとエジプトで革命が起きた頃には、フランスは傍観者を決め込んでいた。
「フランスは弱々しい負け犬だという見方は、誇張されているし間違っている」と、米誌ワールド・ポリティクス・レビューのジュダ・グランスタイン編集長は言う。「サルコジは、フランスが果たす世界のリーダー的役割に限界があるなどというアメリカの見方には同調しない」
コートジボワール空爆は資源が目当て?
サルコジは07年に大統領に就任して以来、世界におけるフランスの存在感を保つために力を注いできた。フランスの国防戦略を見直すよう命じ、09年にはシャルル・ドゴール元大統領が66年に脱退したNATOの軍司令部に復帰することを決めた。
サルコジはフランスが指導力を発揮できるチャンスを見つけると、積極的に手を出してきた。オバマ米大統領がリビアへの軍事介入をためらった時も、まさに絶好のチャンスだった。
グランスタインによると、イラク戦争をめぐって仏米関係がぎくしゃくするなか、NATO軍司令部に復帰することでサルコジはアメリカとの友好関係を改めることができた。リビアやコートジボワールへの軍事介入を果たすことができたのも、軍司令部復帰によって軍事的な影響力が強まったからだ。
国連との協力の下、フランスがコートジボワールで行った空爆がバグボの拘束につながったことについては、「ある時点で誰かがやらなければならなかった」とグルスタインは語る。「サルコジには政治的な影響力をかぎつける鼻がある。彼は世界にリーダーの存在が欠けていた時にそれを埋めてみせた」
バグボ拘束によって、行き詰っていたコートジボワールの騒乱は終局を迎えた。しかしパリを拠点に活動するバグボの支持者で広報担当者のアラン・トゥーサンは、フランスがやったことは本質的にはクーデターだと批判する。西アフリカ諸国の資源を手に入れるためにバグボを追放し、アラサン・ワタラ元首相を大統領職に就けたというのだ。