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中東革命「優等生」トルコがアラブ世界のお手本に
独裁者を倒し権力を握った各国のイスラム政党は、「イスラムと民主主義の両立」の教えを求めてトルコ詣で
イスラム穏健派のドン 過激派から宗旨替えしてトルコ史上最も安定した政権を作ったエルドアン首相 Umit Bektas-Reuters
革命の波が広がる中東諸国で、イスラム政党が各国で政権を掌握する可能性が出てきた。穏健路線への転換を目指す地域のイスラム主義の指導者がお手本と仰いでいるのが、トルコのエルドアン首相だ。
亡命先から帰国したチュニジアのイスラム政党指導者ラシド・ガンヌーシは近々、トルコの首都アンカラを訪問する。政治的な主流派になるには「イスラムと近代主義の両立」が必要であり、エルドアン率いる公正発展党(AKP)に学ぶべきだと考えるからだ。
エジプトのムスリム同胞団もエルドアンを見習い、穏健政党「自由公正党」を結成。少数派のコプト教徒も取り込んで、今後の選挙に打って出る計画だ。モロッコのイスラム政党は、トルコと同じ「公正発展党」。ヨルダンのイスラム行動戦線は、アブドラ国王との会談で「トルコ型」の政治を求めた。トルコのシンクタンクが最近行った調査では、75%のアラブ人がトルコは「イスラム教と民主主義の共存の成功例」だと考えている。
エルドアンもかつては過激なイスラム主義者だった。99年には扇動罪で投獄された経験もある。その後穏健派に転じ、現代トルコ史上最も安定した政権与党の党首となった。
エルドアンの指揮下で、AKPは全国規模の選挙(国民投票も含む)に5回勝利。政教分離の原則を振りかざす司法の介入や軍のクーデター計画を乗り切り、政権発足後8年でGDPを倍増させた。
エルドアン自身は、トルコが他国の模範になるなどとは言わない。かつてオスマントルコに支配されたアラブ世界の人々は、今でもトルコが盟主気取りになることを警戒するからだ。
「トルコは手本というより、彼らに勇気を与える存在になるだろう......ある国の成功例がすべての国に当てはまるわけではない」と、エルドアンは本誌に語った。ただし彼が言うように、「トルコが人権擁護と法の支配を土台に、きちんと機能する民主主義を打ち立てた」ことは、イスラムと民主主義の両立は可能という証拠にほかならない。
原理主義との訣別が鍵
わずか10年前まで、トルコはお粗末な民主主義の最たる例だった。腐敗した指導者たちが政権交代劇を繰り広げ、軍がたびたび政治に介入。金融部門は脆弱で、多くのクルド人と左派活動家が闇へ葬られた。
エルドアンにも汚点はある。アラブ世界の同盟国であれば、相手が独裁政権でも目をつぶってきたのだから。昨年末には、リビアの最高指導者カダフィ大佐が創設した人権賞をありがたく受け取っている。
それでも、今のトルコを築いたのはエルドアンの功績だ。現政権下で軍は政治に口出しできなくなり、内政は安定。近隣諸国との関係も良好で、年率8%の急成長を遂げるトルコは地域経済の牽引役になっている。
近隣諸国のイスラム政党がトルコを手本にするには、不都合な点もある。AKPはイスラム原理主義と訣別し、欧州のキリスト教民主政党を見習って「ムスリムの民主政党」となった。
その一方で、イランやスーダン、アフガニスタンのイスラム政権は「社会正義、平等、法の支配、外国支配からの解放を実現するという約束を果たせなかった」と、中東問題研究所(ワシントン)のゴナル・トルは指摘する。「その結果、若い世代のイスラム教離れが進んだ」
冷戦後、東欧の共産主義者は社会民主主義者に転じた。同じように、トルコのイスラム主義者も現実的な穏健派に生まれ変わった。革命後の新時代に向けてアラブのイスラム政党がトルコに学ぶつもりなら、この事実を受け入れる必要がある。
[2011年3月 9日号掲載]