中国の平和賞批判はナチスがお手本?
ナチスが新設したドイツ版ノーベル賞
100年以上の歴史をもつノーベル賞が、時代に合わせて変化するのは自然なことだ。ノーベル委員会のトルビョルン・ヤーグラン委員長は、今年選ばれた劉をソ連時代の受賞者サハロフになぞらえた。「ソ連の指導層が(サハロフの主張に)耳を傾けていれば、ソ連の歴史はまったく違っていたかもしれない。中国も今、同じような分岐点にある。人権に配慮した社会市場経済を発展させられれば、世界に非常に前向きなインパクトを与えるだろう。もしできなければ、世界が尻拭いをする羽目になる」
それでも、中国当局は劉への平和賞授与は「茶番」であり、中国の奇跡的な経済成長を頓挫させる陰謀だという主張を続けている。中国側の言い分を支持する動きもあり、18カ国が授賞式への出席を辞退(中国のためだと明言した国は少ないが)。国連人権高等弁務官のナバネセム・ピレーまで出席を取りやめた。
その一方で、中国はノーベル賞授賞式前日の12月9日、独自に創設した「孔子平和賞」を発表するという対抗策に出た。初代の受賞者は台湾の連戦(リエン・チャン)元副総統だ(ただし連はスポークスマンを通じて、受賞の話は聞いておらず、受け取る予定もないとコメントした)。
中国の支持派いわく、不適切な人物がノーベル賞に輝くのは珍しい話ではない。73年には、戦犯の疑いもあるヘンリー・キッシンジャー米国務長官が平和賞を受賞。一方で、インドの非暴力運動の指導者マハトマ・ガンジーや、中国の経済改革の立役者である鄧小平(彼が推進した市場経済政策によって6億人が貧困から救われた)は、ノーベル賞に縁がなかった。
それにしても、孔子平和賞を新設した中国をみると、再び「例の国」を思い出さずにはいられない。1936年にオシエツキーの平和賞受賞が発表されると、ナチス政権はノルウェー政府に公式に抗議した。その翌年、ヒトラーは今後ドイツ人はノーベル賞を受けないと発表。代わりに、科学と芸術分野で「ドイツ版ノーベル賞」を立ち上げた。