フランスのブルカ禁止には大賛成
フランスのブルカ禁止法案は、その幼稚な擁護者の一部が主張しているような「治安上の」理由に適っているとは言えない。彼らは、黒い布で顔を覆った銀行強盗や爆弾をガウンの下に忍ばせた自爆テロ犯を引き合いに出しているが、別にブルカでなくてもこうした犯罪はできるということだ。
さらに反対派も支持派も主張する通り、フランス社会の「イスラム化」を止めてくれるからいい法律だ、というわけでもない。過去の植民地支配への罪悪感のせいで、フランス社会が長い間受け入れられずにきたイスラム文化の浸透を、多くの人はむしろ歓迎している。さらに、ニコラ・サルコジ仏大統領が最近持ち出した「フランス人とは何か?」「国民のアイデンティティーを定義しよう」という議論は、移民やイスラム教徒排斥につながるという反発も呼んでいる。
しかしよほどのイスラム過激派を除き、フランス社会がイスラム教化することを望む人などいない。もしもブルカ着用を認めるか禁止するかによってフランス社会の寛容性や文化の多様性を判断されるのだとしたら、我々の自由社会はどうなってしまうのだろう。
フランスは反イスラムではない
米国務省報道官やホワイトハウス、そして多くのアメリカ人には驚きかもしれないが、フランスは決して反イスラム国家ではない。国中のいたるところにモスクが(イスラム礼拝所)があり、その多くは公費で建設されている。
「カトリック教会の長女」とも表現されるフランスはもちろん、反宗教的な国でもない。バレリー・ジスカールデスタン元大統領は起草者の1人として関わった最新のEU(欧州連合)条約の序文で、「キリスト教の伝統」に言及しようとしたほどだ。彼のアイデアはほぼ全加盟国から拒絶された。政治条約はあらゆる人のものであるのに対し、宗教は個人的なものだからだ。
だがフランスがどんなに宗教的な国家であろうと関係ない。ブルカの問題は宗教問題とは言えないからだ。「ブルカは宗教的なものではない」と、サルコジは言った。「女性の服従の象徴だ」
私が住む場所として選ぶような社会では、公共の場でのブルカ着用を許すことは社会生活のルールを侵すことになるだろう。自由な社会では、人は隣人を愛したり、憎んだり、無視したりできる。ただそのためには非常にシンプルなあることが必要だ。そう、彼もしくは彼女の顔を見ることができることだ。
(GlobalPost.com特約)