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東欧ポーランド大統領墜落死は危機ではない
カチンスキ大統領の死去は国家的悲劇だが、反ロシアの姿勢が国民の共感を得ていたわけではなく、地域的な影響は小さそうだ
慰霊の灯火 大統領夫妻の死を悼み大統領宮殿の前には多くの花が添えられた(4月11日、ワルシャワ) Ints Kalnins-Reuters
4月10日にポーランドのレフ・カチンスキ大統領や軍参謀総長らが飛行機事故で死亡したことが、同国にとって国家的悲劇であることは疑いようがない。しかし地域的、戦略的に多くの影響を及ぼすことはなさそうだ。
議会共和制のポーランドでは、ドイツやイタリアと同様、大統領職は象徴的・儀礼的な役割を担っているだけ。カチンスキの政治的な役割は国外で元首としてポーランドを代表することに限定され、実際の政権運営を握っているのはドナルド・トゥスク首相だった。
ロシアとの関係改善を進めるトゥスクの外交姿勢をめぐって、カチンスキとトゥスクはこの数カ月間、何度か衝突していた。最も最近2人の対立が表面化したのは4月7日、トゥスクとロシアのウラジーミル・プーチン首相が「カチンの森」事件から70周年の追悼式典に顔をそろえたときだ(「カチンの森」とは、第二次大戦中の1940年に旧ソ連の秘密警察がポーランド将校ら捕虜を大量虐殺した事件のこと)。
プーチンは、ボリス・エリツィン元大統領と同様、事件を「恐ろしい悲劇」と述べたが、同時にロシアとポーランドの人々の「和解の原点」にすべきだと強調。カチンスキは公式の追悼式典には出席せず、追悼代表団を引き連れてポーランド主催の独自の追悼式典に向かっていた。墜落事故はその途上で起きた。
大統領選では負けていた可能性も
カチンスキの死去に伴い、今年秋に予定されていた大統領選挙は繰り上げられる予定だ。カチンスキの対抗馬と見られていたのは、ブラニスラフ・コモロフスキ下院議長。トゥスク率いる与党「市民プラットフォーム」の一員でもある彼は、選挙まで大統領職を代行する。
事故の前、カチンスキは世論調査でコモロフスキの後塵を拝していた。トゥスクとラドスワフ・シコルスキ外相は、4年前にロシアがポーランド産の食肉の輸入を禁止したことで関係が悪化して以来、ロシアとの関係改善を目指してきた。反対にカチンスキと彼の兄で元首相のヤロスワフは、ロシアとの対立姿勢を鮮明に打ち出していた。ウクライナやグルジアとの連帯を掲げ、これらの国のNATO(北大西洋条約機構)加盟を支持した。
しかし国民が望んだのは反ロシアではなかった。07年の下院選挙でヤロスワフ率いる「法と正義」は敗北。ヤワスワフは首相の座を譲り、トゥスクの親露政権が誕生したのである。