「モデル国家」スイスの終焉
EUにのみ込まれる日
スイスは、苦境にあえぐヨーロッパの単なる小国に近づいているようだ。ヨーロッパが新しい世界秩序における自らの役割を模索している今、スイスは国際的な重要性を低下させているように見える。
スイス人はよく、自国を「意思による国家」と呼ぶ。共通の言語や文化ではなく、国民の意思によって築かれた国という意味だが、今のスイスには自己改革の意思が感じられない。
一方、スイス国民が誇りにしてきた「神話」は急速に崩壊しつつある。例えば銀行の秘密保持だ。
この伝統は1930年代、左派政権を嫌ったフランスの資本と、ナチスの支配を逃れたユダヤ人の資金を受け入れたときに始まった。預金者を引き付けたのは、スイスの銀行は自国の税務当局に対しても顧客情報を漏らしてはならないとする法律の存在だ。おかげでスイスの「秘密口座」は瞬く間に有名になった。
だが、それも今では昔話だ。スイスは12年前、ナチス時代にユダヤ人から預かり、後に名義人が死亡して「休眠口座」となっていた資産の返還に同意させられた。
米政府は脱税捜査の一環として、スイスの秘密口座に預金があるアメリカ人顧客の情報開示を要求。協力しなければ、うまみの多い米市場からスイスの金融機関を締め出すと脅しをかけた。さらに米政府は、対イラン経済制裁に違反したという理由でスイスの大手銀行に巨額の罰金を科した。
今ではスイスもEUのルールに合わせ、国内の銀行に口座を持つEU居住者の利子収入に課税している。今年2月には、スイスの銀行の顧客データを持ち出した人物が、ドイツの税務当局に買い取りを打診する事態も起きている。
イタリアは01年から脱税に対する恩赦を実施し、裕福な脱税容疑者がスイスの銀行に預けていた巨額の資産を自国に引き揚げさせている。スイスの銀行は今も多額の資金を引き付けているが、預金者の秘密が守られる保証はもうない。
4つの公用語が通じない
他国の手本だった融合と寛容の精神も失われつつある。フランス系スイス人はドイツ語を学ばなくなり、ドイツ系スイス人もフランス語を学ばなくなった。現在、最もよく使われる第2言語は4つの公用語のどれでもない。英語だ。
よそ者に対する寛容さも薄れている。90年代のスイスは、ヨーロッパで最も多くのコソボ難民を受け入れていた。
だが昨年11月の国民投票では、モスク(イスラム礼拝所)の尖塔の建設禁止を憲法に盛り込むことを求める排外主義的な提案が可決された。スイスのイスラム教徒の多くは政教分離が進んだバルカン半島の出身で、スイス社会に非常によく溶け込んでいるが、この事実を無視するような動きだ。
難民を受け入れておいて、後になってから邪険にするというパターンは、実は昔からスイスが抱えてきた矛盾の1つだった。
39年に第二次大戦が勃発する前、スイスはイギリスが受け入れを拒否したユダヤ系ドイツ人を受け入れた。だが自国への入国希望者を識別しやすくするため、ナチスにユダヤ人を意味する「J」の印をパスポートの表紙に押させたのもスイスだった。
スイス人テレビジャーナリスト、ウルス・グレディヒの著書によれば、グローバル化の代名詞になる前のダボスは今とまったく違う顔を持っていた──30年代のダボスには、ドイツ国外で最大のナチス支部があったのだ。
スイス国内や、他国のEU懐疑論者の間で喧伝されているもう1つの神話は、EUの制約から自由だということ。スイスはEU加盟を拒否することで自国の主権を守り、ブリュッセルのEU官僚に膝を屈するしかなかった近隣諸国と一線を画していると言われてきた。
だが現在、スイスの法律の大部分はEU側の基準に沿ったものになっている。それがEUとの貿易を行うための条件だからだ。
スイスは1年ほど前、EU加盟国のイギリスさえ参加していないシェンゲン協定(EU域内をパスポートなしで移動できるようにする協定)に加わった。その結果、今では毎月3000人前後のドイツ人が仕事や住まいを求めて入国してくる。