最新記事

中国

イギリス人処刑を強行した中国の論理

国外で高まる非難の声を無視してイギリス人の麻薬密輸犯の死刑を執行した背景には、急変する国内事情と深いトラウマがあった

2010年1月6日(水)18時13分
アイザック・ストーン・フィッシュ

法と秩序 シャイフの死刑は犯罪に対する中国の強い姿勢を示すものだ(写真は、盗みで捕まり通りで手錠をかけられた男。08年、四川省青川県) Nir Elias-Reuters

 多くの人が忘れてしまっているが、中国政府の独裁的なリーダーたちは、国の統治を国民から任されている。中国の安全と力と繁栄を保っていれば、国民も反発を控え、政府による抑圧にも耐えるだろう。しかしそうできなければ、今のイランのような混乱に陥る。

 そう考えれば、09年12月29日に中国で執行されたイギリス人の死刑は、報道で指摘されるような外交上の失態ではなく、国内政治における英断だったことがわかる。死刑になったのは、パキスタン系イギリス人のアクマル・シャイフ。07年に3.6キロ以上のヘロインを中国へ持ち込んだ罪に問われ、死刑判決を受けた。

 中国の司法当局がとりわけ脆弱に見える事件が頻発していただけに、この一件は彼らが多少なりとも自尊心を取り戻すチャンスを与えたかのようだ。

 12月29日に刑が執行されると、イギリスでは非難の声が巻き起こった。ゴードン・ブラウン英首相や閣僚、シャイフの家族などが、過去に精神疾患を患ったことを理由にシャイフの減刑を中国政府に求めていたからだ。

 中国側は、精神疾患の病歴を示す証拠はなく、中国で精神鑑定を行うことも拒否した。本当は、真実を知る必要がなかったのだろう。この死刑は中国にとって有益なものだったからだ。

 執行後、遺憾の念がないことを示すように、中国公安当局はアフガニスタン籍の2人とパキスタン籍の2人を麻薬密輸容疑で逮捕。場合によっては、彼らも極刑を受ける可能性があるとした。

頻発する異常な殺人事件が引き金

 政府の厳格な姿勢の背景には、過去6週間近くにわたって次々と異常な殺人事件が発生していることがある。湖南省では12月12日、出稼ぎから帰省していた男性が親族をナタなどで襲い、家屋に放火して少なくとも11人を殺害した。

 河北省では、口論を根にもった男性が7人の親類を鈍器で殺害した後、飛び降り自殺した。北京郊外では、新年の宴席で5人が殺される事件が発生。目撃証言によれば、被害者には容疑者の恋人や妊娠中の女性も含まれるという。

 何事も思いどおりになるというイメージを国民に与えたい中国政府の意思に反し、次々と巻き起こる残忍な事件は国家の自信を揺るがせている。

 シャイフの家族が主張していたように、彼は麻薬ディーラーにだまされて運び屋にされただけかもしれない。麻薬ディーラーは、シャイフが世界平和を願って作った歌をレコーディング契約すると約束していたという。

 しかし中国政府はシャイフを死刑にすることで、人々にこう訴えた。あなたたちを敵から守るため、われわれは最善の策をとる。その敵がナタをもった殺人鬼だろうと、スーツケースに麻薬を詰めた密輸犯だろうと。

アヘン戦争と治外法権の屈辱

 同時に中国政府は、シャイフを精神障害者以上の存在に仕立て上げた。彼の母国イギリスで解放を求める声が高まったことで、中国政府は「トラウマ」を刺激された。イギリスの帝国主義とアヘン戦争をめぐるトラウマだ。

 19世紀半ばのこの戦争は「国家の恥」とされ、中国の子供たちは学校でこう教わる。中国にとって恥ずべき軍事的敗北であり、香港をイギリスに譲渡する結果を招き、アヘン中毒を蔓延させ、中国でのイギリスの治外法権を認めることになった。

 とりわけ治外法権は中国をいらだたせた。イギリスから見れば、中国の司法システムはお粗末だといわれているようなものだったからだ。

今、あなたにオススメ
ニュース速報

ビジネス

日本のインフレ率は2%で持続へ、成長リスクは下方に

ビジネス

三菱商事、26年3月期に最大1兆円の自社株買い 年

ワールド

韓国、関税巡り米当局者との協議模索 企業に緊急支援

ビジネス

トランプ関税で実効税率17%に、製造業「広範に混乱
今、あなたにオススメ
MAGAZINE
特集:引きこもるアメリカ
特集:引きこもるアメリカ
2025年4月 8日号(4/ 1発売)

トランプ外交で見捨てられ、ロシアの攻撃リスクにさらされるヨーロッパは日本にとって他人事なのか?

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    あまりにも似てる...『インディ・ジョーンズ』の舞台になった遺跡で、映画そっくりの「聖杯」が発掘される
  • 2
    自らの醜悪さを晒すだけ...ジブリ風AIイラストに「大はしゃぎ」する人に共通する点とは?
  • 3
    中居正広は何をしたのか? 真相を知るためにできる唯一の方法
  • 4
    8日の予定が286日間に...「長すぎた宇宙旅行」から2…
  • 5
    【クイズ】世界で最も「レアアースの埋蔵量」が多い…
  • 6
    イラン領空近くで飛行を繰り返す米爆撃機...迫り来る…
  • 7
    磯遊びでは「注意が必要」...6歳の少年が「思わぬ生…
  • 8
    アメリカで「最古の銃」発見...いったい誰が何のため…
  • 9
    博士課程の奨学金受給者の約4割が留学生、問題は日…
  • 10
    トランプ政権でついに「内ゲバ」が始まる...シグナル…
  • 1
    【クイズ】世界で最も「レアアースの埋蔵量」が多い国はどこ?
  • 2
    自らの醜悪さを晒すだけ...ジブリ風AIイラストに「大はしゃぎ」する人に共通する点とは?
  • 3
    中居正広は何をしたのか? 真相を知るためにできる唯一の方法
  • 4
    ロシア空軍基地へのドローン攻撃で、ウクライナが「…
  • 5
    ガムから有害物質が体内に取り込まれている...研究者…
  • 6
    一体なぜ、子供の遺骨に「肉を削がれた痕」が?...中…
  • 7
    8日の予定が286日間に...「長すぎた宇宙旅行」から2…
  • 8
    現地人は下層労働者、給料も7分の1以下...友好国ニジ…
  • 9
    磯遊びでは「注意が必要」...6歳の少年が「思わぬ生…
  • 10
    なぜ「猛毒の魚」を大量に...アメリカ先住民がトゲの…
  • 1
    中国戦闘機が「ほぼ垂直に墜落」する衝撃の瞬間...大爆発する機体の「背後」に映っていたのは?
  • 2
    「さようなら、テスラ...」オーナーが次々に「売り飛ばす」理由とは?
  • 3
    「テスラ時代」の崩壊...欧州でシェア壊滅、アジアでも販売不振の納得理由
  • 4
    「一夜にして死の川に」 ザンビアで、中国所有の鉱山…
  • 5
    テスラ失墜...再販価値暴落、下取り拒否...もはやス…
  • 6
    「今まで食べた中で1番おいしいステーキ...」ドジャ…
  • 7
    市販薬が一部の「がんの転移」を防ぐ可能性【最新研…
  • 8
    テスラ販売急減の衝撃...国別に見た「最も苦戦してい…
  • 9
    テスラの没落が止まらない...株価は暴落、業績も行き…
  • 10
    【クイズ】世界で最も「レアアースの埋蔵量」が多い…
トランプ2.0記事まとめ
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story
MOOK
ニューズウィーク日本版別冊
ニューズウィーク日本版別冊

好評発売中