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イスラエルユダヤ人入植地、撤去後の現実
イスラエルの主要都市テルアビブから南方に向かう幹線道路を車で走ると、同じ形をした赤い屋根の家が何百戸も見えてくる。
さらに近づくと、そこが仮設住宅の町であることが分かる。この町ニツァンに商店は数えるほどしかない。駐車場の壁には「グシュ・カティフに帰るぞ」と書かれている。グシュ・カティフはパレスチナ自治区ガザにかつてあったユダヤ人入植地。05年にアリエル・シャロン首相によって撤去された。
シャロン政権はガザとヨルダン川西岸北部にあった25の入植地から約9000人を移住させた。このうち80%は集団でコミュニティーをつくることを希望。そのためニツァンのような町が生まれた。
仮設住宅は09年春までに取り壊され、ニツァンはトウモロコシ畑に戻される予定だった。だが今も元入植者の多くがここに住んでいる。理由は政府の対応が悪いからだとも、元入植者が無理な要求をしているからだともいわれる。
ニツァンの現状は新たに入植地撤去の計画を立てる際の参考になりそうだ。今でこそ入植地の建設凍結が問題となっているが、それをクリアしたら今度は入植地撤去が課題になるかもしれない。どのように撤去を進め、元入植者の精神的苦痛や社会復帰をどう支援するのか。
今後、撤去の対象となるのは、入植に対して強い宗教的使命感を持つ住民の多いヨルダン川西岸の入植地になるだけに困難が予想される。だが05年の強制撤去から分かるように、いざとなれば国家は国民の使命感をねじ伏せられる。
入植地の撤去は困難かもしれないが、不可能ではない。
[2009年12月23日号掲載]