最新記事

イスラム体制

混迷テヘランは第2の天安門では収まらない

中国と異なり政治的自由を知るイラン市民の反発は弾圧では抑えきれない。ハメネイ批判の高まりと相まって「イスラム共和制の崩壊」が始まるのか

2009年6月17日(水)18時01分
マイケル・ハーシュ(ワシントン支局)

広まる不信 ハメネイ師の力量に懐疑的な声は以前からくすぶっていた(写真は舞台の上のハメネイの肖像) Morteza Nikoubazl-Reuters

 2年前の6月に私がイランを訪れたとき、はっきりしていたことが1つある。宗教上の最高指導者が国の最高権力を持つ「イスラム共和制」が近い将来崩れる兆候は、ほとんど見られなかったということだ。多くの市民は聖職者を嫌悪していたが、わずかな例外を別にすれば、反政府的な意見はほとんど聞かれなかった。

 それが6月12日に行われた大統領選挙で一変した。聖職者たちにとっては、90年代に改革派のモハマド・ハタミ大統領を誕生させた民主化運動をはるかに超える激震となる可能性が高い。

 これまで最高指導者のアリ・ハメネイ師と保守強硬派のマフムード・アハマディネジャド大統領率いる政府は、少しばかりの自由な空気と「ばらまき政策」で国民のノンポリ化を促すという狡猾な戦略を取ってきた。

 彼ら宗教的保守派が公然と手本にしてきたのが「中国モデル」だ。89年の天安門事件後、中国政府はよりよい暮らしを求める市民の渇望を経済成長に向けさせることで体制批判の封じ込めに成功した。

 イランでも、90年代の改革機運が同じような方法でつぶされた。アハマディネジャドら「新保守派」は、ハタミ時代の社会改革の大部分を維持する一方で、取り締まりの対象を体制批判に絞り込んだ。

 だが今、ハメネイらの行き過ぎたやり方は、かえって彼らの立場を危うくしている。イスラム共和制の正当性は広く認められているが、最高指導者としてのハメネイの地位は西側で考えられているほど強固ではない。

 ハメネイは今回の大統領選でも対応の甘さを露呈した。当初、アハマディネジャドの勝利は「神から授かったものだ」と宣言。しかしその後、改革派の反発を受けて投票の再集計を受け入れる羽目になった。

ハシェミ・ラフサンジャニ元大統領のように、ハメネイの判断に公然と疑問を投げかける有力者も現れた。最高指導者に意見するなど、以前なら考えられなかったことだ。

専制政治でも権力構造は多元的

 革命の父ホメイニ師の後継者としてハメネイは力不足だ――そんな批判は何年も前からささやかれてきた。今回の騒動で、こうしたささやきが声高な主張に変わることは間違いない。ここで重要なのは、ハメネイが最高指導者の座を追われた場合、後継者が不在になる可能性があることだ。

 私がイランで聞いたかぎり、聖職者の間には激しい派閥争いがあり、十分な威信のある人物は1人もいないようだ。今回の改革派のデモが現体制の正統性に疑問を投げかけていることを考えると、将来イランがイスラム共和制から民主政に移行するきっかけになるかもしれない。

 専制政治ではあるが、イランの権力構造は多元的だ。聖職者による統治は抑制と均衡が働いており、絶対的な権威を持つ人物はいない。ハメネイですら、だ。

例えば専門家会議には最高指導者の罷免権がある。資質がないと判断したら、事実上はハメネイを罷免することもできる(ただし同会議にはハメネイ支持者が多いので、その可能性はきわめて乏しい)。

 私は2年前の訪問でシーア派の聖地クムを訪れ、反体制派の聖職者に話を聞いた。その中の1人、ユーセフ・サーネイ師は護憲評議会について批判的な記事を書くべきだと私に語った。護憲評議会は選挙の候補者を審査する権限を持ち、今回の選挙結果について一部再集計を提案している。

 護憲評議会は法律や慣例がイスラム法典に沿っているかチェックするために設置された機関なのに、市民生活や政治に深く首を突っ込み過ぎている。彼はそう苦言を呈した。

 サーネイによれば、革命初期の護憲評議会の予算は「2000ドル程度に過ぎなかったが、今や数百万ドルに上る」。もっと目立たない役割に徹するべきなのに、改革派や反体制派の候補者を排除する手段になっていると、サーネイは語った。

 サーネイはイスラム共和制を支持しつつも、いつか有権者によって聖職者が権力から排除される日が来ることは「十分あり得る」と言う。隣国イラクに住むシーア派の最高権威アリ・シスタニ師のように、直接政治に関わるのではなく「ごく穏やかな」アプローチを取るのがいいと、彼は考えている。

市民は政治的自由の味を知っている

 イランは今後も中国を手本とし続けるだろう。だが、民主的で多元的なシステムをもつイランは、中国とは大きく異なる。イランには反対意見の「はけ口」が用意されており、公然たる反対意見が存在する。

 たとえば新聞が聖職者を批判するようなことを書いたら、その新聞は2~3カ月発禁処分になるだろう。アハマディネジャドやその政策を批判する政治家がいれば、選挙への出馬資格を剥奪されるだろう。

 それでも、真夜中に警察が押し入ってきて、極秘の刑務所に投げ込まれるようなことはない。ただし問題は、こうした「ソフトな抑圧」ですら今後も市民が受け入れるかどうかわからないということだ。

 ニューヨーカー誌のローラ・セコアは6月15日付けのブログで、「89年を思い起こさずにいられない。問題は今のテヘランが(ビロード革命で民主化に成功したチェコスロバキアの)バーツラフ広場なのか、(民主化運動が武力によって鎮圧された中国の)天安門広場なのか、ということだ」と書いている。

 現在のイランは、当時のチェコスロバキアとも中国とも違う。イランの現体制は、ソ連の影響下で弱体化していたチェコスロバキアほどもろくない。中国共産党は天安門広場に集まったデモ隊を押しつぶし、改革派政治家を失脚させるだけでよかったが、イランの政治家はずっと難しい問題に直面している。イランの市民は政治的自由の本当の味を知っているということだ。

 今回の大統領選で改革派の最有力候補だったミルホセイン・ムサビ元首相らを初め多くの著名人が、現体制の権力構造を明確に批判している。

 ハメネイの息のかかった護憲評議会は、投票の再集計を促す一方で、イスラム共和制の正当性を主張することに躍起になるだろう。その努力が成功する可能性は十分ある。

 だが正統性を否定する種はまかれた。その芽を引き抜くことは、聖職者にも難しいかもしれない。

今、あなたにオススメ
ニュース速報

ビジネス

エヌビディア決算に注目、AI業界の試金石に=今週の

ビジネス

FRB、9月利下げ判断にさらなるデータ必要=セント

ワールド

米、シカゴへ州兵数千人9月動員も 国防総省が計画策

ワールド

ロシア・クルスク原発で一時火災、ウクライナ無人機攻
今、あなたにオススメ
MAGAZINE
特集:台湾有事 そのとき世界は、日本は
特集:台湾有事 そのとき世界は、日本は
2025年8月26日号(8/19発売)

中国の圧力とアメリカの「変心」に危機感。東アジア最大のリスクを考える

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    なぜ筋トレは「自重トレーニング」一択なのか?...筋肉は「神経の従者」だった
  • 2
    プール後の20代女性の素肌に「無数の発疹」...ネット民が「塩素かぶれ」じゃないと見抜いたワケ
  • 3
    皮膚の内側に虫がいるの? 投稿された「奇妙な斑点」の正体...医師が回答した「人獣共通感染症」とは
  • 4
    顔面が「異様な突起」に覆われたリス...「触手の生え…
  • 5
    飛行機内で隣の客が「最悪」のマナー違反、「体を密…
  • 6
    【写真特集】「世界最大の湖」カスピ海が縮んでいく…
  • 7
    「あなた誰?」保育園から帰ってきた3歳の娘が「別人…
  • 8
    株価12倍の大勝利...「祖父の七光り」ではなかった、…
  • 9
    中国で「妊娠ロボット」発売か――妊娠期間も含め「自…
  • 10
    南京事件を描いた映画「南京写真館」を皮肉るスラン…
  • 1
    「まさかの真犯人」にネット爆笑...大家から再三「果物泥棒」と疑われた女性が無実を証明した「証拠映像」が話題に
  • 2
    「レプトスピラ症」が大規模流行中...ヒトやペットに感染、最悪の場合死亡も
  • 3
    「あなた誰?」保育園から帰ってきた3歳の娘が「別人」だった...母親によるビフォーアフター画像にSNS驚愕
  • 4
    「死ぬほど怖い」「気づかず飛び込んでたら...」家の…
  • 5
    中国で「妊娠ロボット」発売か――妊娠期間も含め「自…
  • 6
    なぜ筋トレは「自重トレーニング」一択なのか?...筋…
  • 7
    20代で「統合失調症」と診断された女性...「自分は精…
  • 8
    「このクマ、絶対爆笑してる」水槽の前に立つ女の子…
  • 9
    頭部から「黒い触手のような角」が生えたウサギ、コ…
  • 10
    3本足の「親友」を優しく見守る姿が泣ける!ラブラ…
  • 1
    「週4回が理想です」...老化防止に効くマスターベーション、医師が語る熟年世代のセルフケア
  • 2
    こんな症状が出たら「メンタル赤信号」...心療内科医が伝授、「働くための」心とカラダの守り方とは?
  • 3
    「自律神経を強化し、脂肪燃焼を促進する」子供も大人も大好きな5つの食べ物
  • 4
    デカすぎ...母親の骨盤を砕いて生まれてきた「超巨大…
  • 5
    デンマークの動物園、飼えなくなったペットの寄付を…
  • 6
    「まさかの真犯人」にネット爆笑...大家から再三「果…
  • 7
    ウォーキングだけでは「寝たきり」は防げない──自宅…
  • 8
    山道で鉢合わせ、超至近距離に3頭...ハイイログマの…
  • 9
    「レプトスピラ症」が大規模流行中...ヒトやペットに…
  • 10
    将来ADHDを発症する「幼少期の兆候」が明らかに?...…
トランプ2.0記事まとめ
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story
MOOK
ニューズウィーク日本版別冊
ニューズウィーク日本版別冊

好評発売中