「SNSが孤独を招く」の嘘
だが私たちの多くにとって、フェイスブック上の友人は現実社会の人付き合いの「代替品」ではなくおまけみたいなものだ。カチョッポら孤独の問題に詳しい心理学者で、現代人がネットを介した他者との交流に「本物の不在を完全に埋め合わせる」ことを期待していると考えている人などいない。
私はカチョッポにコメントを求めた。すると彼は「アメリカ人が今ほど孤独だったことはない」というマーシュの説は支持しないと述べた上で、「その傾向が最近特に進んでいることをはっきりと示すような証拠もない」と語った。
マーシュは「以前よりも人に直接会う機会が減り、人々が集まる機会も減っている。集まったところで、人と人とのつながりの意義や居心地のよさも以前より薄れている」と主張する。そしてその根拠として「85年に大事な問題を話し合える相手が1人もいないと答えたのはアメリカ人の10%にすぎなかったが、04年には25%になっていた」という調査結果を挙げる。だがこの調査、同じ分野の他のあらゆる調査と結果が食い違っており、人間関係を研究している一流の社会学者からは信頼されていないといういわく付きのものだ。
カリフォルニア大学バークレー校のクロード・フィッシャー教授(社会学)も、現代アメリカ人の孤独化が急速に進んでいるとの見方には懐疑的だ。新著『今もつながっている』の中でフィッシャーは、過去40年にわたる社会調査を基にアメリカ人の交友関係の質と量が、インターネット到来以前と現在とでほとんど同じであることを示した。
アメリカ人は孤独になってなどいないし、人間関係が希薄になったわけでもない。この事実の前では「アメリカ人が孤独なナルシシストの集団になったのはフェイスブックのせいだ」との説を証明するのは困難だ。
百歩譲って仮に孤独な人々の割合が史上最高のレベルに達していたとしても、この説が証明されたことにはならないだろう。複数の専門家が指摘するとおり、現実の生活で孤独を感じている人々は、フェイスブックの中でも孤独だろう。その一方で、人間関係が豊かな人はフェイスブックでも孤独ではないだろう。
「新たな孤独」を生んだ?
マーシュの論考の中には「フェイスブックは道具にすぎない」とカチョッポが指摘するくだりがある。「こうした技術をうまく使えば、私たちはさらなる孤独ではなくさらなる融合に向かうことができる」。マーシュも「フェイスブックやツイッターや小規模なソーシャルメディアが私たちに孤独をもたらしたのではないことは明らかだ」と認める。フェイスブックのせいで現代人が孤独になったという説を、この時点ではマーシュ自ら否定したように思える。