美しければ出世する(かも)
ハンサムな男性は収入が高く、女性はセクシーな服装が有利──容姿に過剰にこだわる文化がオフィスにもたらした過酷な現実
いまアメリカで、デブラリー・ロレンザーナ(33)を知らない人はまずいない。ニューヨーク在住のこの女性は09年12月、以前の勤め先である大手銀行シティバンクを訴えた。
腰からもものラインがくっきり浮き出る膝丈のペンシルスカートに、体に密着するタートルネックのトップス、爪先が開いたオープントウのピンヒール──そんな服装でデスクワークをしていたロレンザーナは、「セクシー過ぎて」同僚たちの仕事の妨げになるという理由で不当に解雇されたと主張。大きな反響を呼んだ(解雇理由はあくまでも業務遂行能力の問題だと、会社側は主張している)。
その後、ロレンザーナが美容整形に関するテレビのリアリティー番組に出演し、豊胸手術やさまざまな注射などを受けていたことが報じられた。番組での言動は目立ちたがり屋そのもので、シティバンクを訴えたのも売名行為ではないかと疑う声が高まった。
安っぽい騒動と言えばそのとおり。だが、この件に関して誰もが避けようとしている問題があるように思える。ロレンザーナが容姿を理由に解雇されたのかという以前に、そもそも採用されたのはセクシーな容姿のおかげだったのではないか、という点だ。
そんな基準で社員を採用する会社ばかりではない。だが、アメリカ社会で容姿重視の風潮が強いことは間違いない。
ほとんどの場合、美男美女のほうが容姿の劣る男女より好ましい結果を手にするというのは、経済学の世界で昔から指摘されていたことだ。ハンサムな男性はそうでない男性に比べて、収入が平均5%高い。美しい女性は、収入が平均4%高い。容姿のいい男女は先生や上司に目をかけてもらいやすい。赤ん坊でさえ、美しい人を長く見詰めることが知られている。
能力は容姿に勝てない
アメリカの景気がもっとよく、(美容整形でセクシーボディーを作ったパリス・ヒルトンではなく)化粧っ気のないモデルのケイト・モスが美のシンボルだった20年ほど前なら、この種の統計は皮相的なものと切り捨てられたかもしれない。
しかし2010年のアメリカでは、美容整形で肉感的な唇を手にしたハイディ・モンタグが雑誌のグラビアを飾り、少女たちの憧れの視線の先にあるのは、雑誌の中のモデルたちの(写真修整済みの)完璧ボディーだ。私たちが昔よりも、美を基準に人間を評価するようになったことを示す調査結果はいくつもある。特に職場では、実力や実績より容姿がものをいう場合が多いようだ。
テキサス大学オースティン校のダニエル・ハマーメッシュ教授(経済学)の調査によれば、ハンサムな男性はそうでない男性に比べて、生涯を通じて得る収入が25万ドルも多い。全米形成外科学会によると、仕事で有利になるのであれば美容整形を検討したいという女性は全体の13%に上る(本誌の最近の調査によれば、男性も10%が同様の考えを持っている)。
厳しい経済情勢の下、労働市場はこれまでになく買い手有利になっている。そういう環境で職を得ようと思えば、容姿は単に重要な要素というのではなく、不可欠な要素と言っていい。
本誌が企業の採用担当の管理職202人を対象に実施した調査では、有能だが容姿がまずい人物は職探しに苦労する可能性が高いと答えた人が全体の57%に上った。履歴書に磨きを掛けるより、「魅力的な容姿」を整えることに時間と金を費やしたほうが就職希望者にとって得策だと指摘する人は59%。女性は職場でボディーラインを強調する服装をしたほうが有利だと考える人は、61%に達した(調査対象者の過半数は男性)。
この調査によれば、企業の採用担当者が人材の評価基準として重要視する要素は、1位が経験、2位が自信、3位が容姿で、その次が学歴だった。
「これが労働市場の新しい現実だ」と、ニューヨークのある就職アドバイザーは言う(仕事に支障が出る恐れがあるとの理由で匿名を希望)。「非常に優秀だけれど容姿が冴えない人よりは、能力が平均レベルでも容姿のいい人のほうが有利だ」
「美し過ぎる」と痛い目に
私たちがこうした「美の偏見」を抱くのは、今に始まったことではない。よく知られているのが、1960年アメリカ大統領選のエピソードだ。共和党のリチャード・ニクソンと民主党のジョン・F・ケネディが争ったこの選挙では、大統領候補者同士のテレビ討論が初めて行われた。
討論をラジオで聴いた人は、ニクソンに好印象を抱いた。一方、テレビを通して、疲れた表情のニクソン(しかも、討論会は夕方だったのでうっすらひげが伸びていた)と、日焼けして彫りの深い若きケネディを見比べた人は、ケネディに好印象を持った。
私たちが「美の偏見」を持つ理由については、さまざまな説明がなされている。古くは古代ギリシャの哲学者プラトンが「黄金比」について書いている。それによれば、顔の横幅が縦幅のちょうど3分の2で、鼻の長さが両目の間隔より短い顔に、私たちは美しさを感じるという。
生物学的に言えば、人間は左右対称に近い顔と豊満な女性に魅力を感じるとされる。このような特徴を持つ人物は、健康な子供を生み出す可能性が高いと考えられているのだ。
美しい人は自信が付いて、学校や職場でいい結果を残せるので、高く評価される──という見方もできる。しかし単に私たちは美しさに目をくらまされて、「美しい人=優秀」と思い込んでいるだけなのかもしれない。
いずれにせよ今日の社会では、美容整形をテーマにしたテレビ番組などで、自分の容姿を「アップグレード」するのが当然だというメッセージが繰り返し流されている。雑誌の誌面では、(写真修整済みの)美しい人たちの姿を見せつけられる。その上、美しい人ほど社会で成功するという調査結果を読まされれば(この記事もそうだが)、誰だって不安になる。
しかもテクノロジーの進歩によって、自分をアップグレードすることが昔より簡単になっている。美容整形といえば、かつては金持ちとセレブのためのものだったが、今は庶民も比較的安い費用で胸を大きくしたり、おなかの贅肉を取ったりできるようになった。さらにはお手軽な日帰り手術まで登場している。こうして、美しい容姿は神様の贈り物ではなく、不断に追い求めていくものだと考えられるようになった。
『美の偏見』という著書を最近発表したスタンフォード大学法科大学院のデボラ・ロード教授は、米国法曹協会で働く女性に関する委員会の座長を務めていたとき、ショックを受けたことがあった。社会で高い地位に就いている女性たちがしばしば、タクシー待ちの行列で時間を取られて約束に遅刻していることが分かったのだ。なぜ、そうまでして女性たちはタクシーに乗ろうとするのか。ハイヒールを履いて長い距離を歩くのが大変だからだ。
女性にとって問題なのは、その時代の美の基準に従って行動していれば万事うまくいくとは限らないことだ。女性はどうしても板挟みの状態に陥る。社会で評価される美の基準に沿って行動すると、それはそれで批判を浴びる恐れがあるのだ。
なるほど、元シティバンクのロレンザーナのような女性はセクシーさをアピールすることにより、仕事で得する面があるかもしれない。しかしその半面、「容姿が美し過ぎる」女性は仕事の場で痛い目に遭う可能性があると、企業の採用担当者の47%は考えている。
男性の白髪は「気品」に
1968年、フェミニズム活動家たちはミス・アメリカ・コンテストの会場外で、ゴミ箱にブラジャーを投げ捨てた。当時、仕事の世界で女性は圧倒的に少数派。職場にせよ私生活の場にせよ、「胸の大きな秘書」という役割に押し込められるのはごめんだと、フェミニストたちは訴えた。
10年後、たくさんの女性が働き始めたとき、彼女たちが身に着けていたのは女性的なファッションではなく男性的な肩パッド入りのスーツだった。
今の働く女性たちは平等を手にした(ということになっている)。アメリカの勤労者の半数以上は女性だし、女性が主な稼ぎ手の家庭も多い。肩パッド入りスーツの時代と異なり、会社でもビーチでも、女性らしさを押し殺すことを求められれば女性たちは抵抗するようになった。
とはいえ、「女性的で、しかも力強い」女性が受け入れられるようになったのは仕事以外の世界だけ。職場は変わっていない。
さまざまな調査によると容姿の劣る女性は、秘書など比較的地位の低い仕事には就きにくい。一方で、容姿のいい女性は出世した場合、「セクシーな女性=頭が悪い」という偏見にしばしばぶつかる。容姿の美しい女性は、女性的過ぎて、知性が乏しく、無能だと決め付けられがちだ。この種の偏見は、男性だけでなく女性の間にも根強くある。
話を複雑にしているのが、年齢を重ねることが不利に作用する職場の現状だ。一般に、若い従業員のほうが新しいテクノロジーに通じていて、給料も安くて済み、見掛けもいいと見なされる。有能でも老けて見える求職者が応募してきた場合、採用をためらう企業もあると、本誌が調査した企業の採用担当管理職の84%が答えている。
年齢差別は男女に共通する問題だが、とりわけ不利な立場に置かれるのは女性だ。スタンフォード大学法科大学院のロードが言うように、男性であれば白髪や額のしわのおかげで気品があると見なされるケースもあるかもしれない。しかし年齢のいった女性の場合は周囲から軽んじられたり、自分を若く見せようとしてあざ笑われたりしかねない。
「この二重基準のおかげで、女性たちは永遠に自分の外見を心配し続ける。その上、外見について心配していることを周りに気付かれてはいないかと、不安を感じる羽目になる」と、ロードは言う。
人間は、古代から美の追求に執念を燃やしてきた。現代社会では、その執念が美とは対極にある醜い状況を生み出しているのだ。
[2010年8月 4日号掲載]