歴史家が垂涎するツイッター
米連邦議会図書館の「つぶやき」保存は宝の山になり得る
4月14日、米連邦議会図書館がツイッターに投稿されたツイート(つぶやき)を、サービスが開始された06年にまでさかのぼってすべて保存すると発表した。
この方針に抗議の声が上がって分かったことがある。ソーシャル・ネットワーキング・サービス(SNS)に関して世間では今も2つの神話が信じられている──書き込みは私的なもので公のものではない、書き込みの内容はどうでもいいことばかり。
SNSとの関わりはアルコール依存症に陥るようなものだ。最初は恐る恐る近づくが、ひとたび友達やフォロワーを見つけると熱心に書き込みを始め、やがて抑制を失ってリスクを冒すようになる。
例えば先日、オーストラリアの医学生がテレビでバラク・オバマ米大統領を見ながら人種差別的な内容をツイッターに書き込み、所属政党から除名された。彼はこうつぶやいた。「テレビで猿を見たけりゃ野生動物番組を見るね」
ビッグブラザーの台頭?
彼が例外というわけではない。ネット上には人種差別的な悪意があふれている。腹立たしいことにその多くは匿名だ。しかし、そうした書き込みが社会の醜い一面を反映しているのは否定できない(ハンドルネームを隠れみのにしてサイトを荒らす連中は皆、臆病者だ。それは言論の自由ではない)。
ツイッターは匿名とは限らないが、内緒にしたいことは書き込まなければいいだけの話。もしくは「非公開」設定にすればいい。連邦議会図書館のつぶやき保存方針を騒ぎ立てる人々は、この単純な論理を分かっていない。保存されるのは「公開」で投稿されたつぶやきだけ。なのにユーザーらは、ジョージ・オーウェルが『1984年』で描いたような「ビッグブラザー」が台頭する兆候だと非難する。
くだらない書き込みの分析に金を掛けるなという声もある。だが歴史家たちにとって、つぶやきは「宝の山」になり得る。もしボストン茶会事件で決起した人々がつぶやいていたら、モーセが1日に1個戒律をつぶやいていたら、ベーブ・ルースがイニングの間につぶやいていたら......すごい資料になっていたはずだ。
歴史家は長年、市井の人々の思いを探ろうとしてきた。多くの場合、記録を残すのを得意としたのはエリート層であり、一般の人々の声は残されていないからだ。
ツイッターには200人の連邦議員を含め1億500万人がユーザー登録しており、1日に5500万のツイートが投稿される。宗教、人工妊娠中絶、政治、医療、メディアなどについて激しい議論が飛び交い、もちろんセレブやセックスに関する話も盛んだ。
大して深くも考えず140字以内でちょろっと書いた内容の分析で、後世に何を伝えられるのか?それは私たちが愚かにもインターネットを信用し、プライベートを詳細にさらけ出しているという事実だろう。解放された気分になりながらも、なぜかどこかで保護されていると思い込み、最も下品な自分を他人と共有している姿だ。