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米メディア対オバマ人種差別発言、黒人の話も聞け
リード上院院内総務の「オバマは黒人なまりがない」発言をめぐるテレビ討論に出演していたのは、白人だけだった
肌が白いね 上院民主党トップのリード(右)は、今月9日オバマに謝罪したが(写真は09年12月) Jim Young-Reuters
リード上院院内総務が08年の大統領選期間中、オバマ候補について「(黒人にしては)白っぽい肌」で「ニグロ(黒人)のなまり」がないと非公式に発言していたことが暴露された。だが、この発言をアメリカにとっての教訓にしなければならないとしたら、この国は私が思っていた以上に人種問題を認めたがらない国だと言えるだろう。
リードは不用意に言葉を使ったのか。そうかもしれないが、ニグロは、今年のアメリカの国勢調査ですべての国民に示される人種の選択肢の1つでもある。
ただ、今回の空騒ぎから学べることはある。もしメディアが人種的な中立性だけでなく機会の平等も重視していれば、こうした騒動がいかに教育的な価値を持つかを、改めて示す絶好の機会になった。
ABCテレビの番組「ジス・ウィーク」でとても面白い場面があった。チェイニー前副大統領の長女エリザベス・チェイニーが、なぜリードがひどい人種差別主義者であるかを説明しようとする一方で、コラムニストのジョージ・ウィルがリードを擁護するために「人種差別の要素は微塵(scintilla)もない」という小難しい単語を使ったのだ。
だが白人だけで議論しているのを見るのは、あまり楽しいことではなかった。この話題では、1人でも専門家が入っていればもっと活発に議論できたはず。それは必ずしも黒人でなくもいいのだが、私のジャーナリスト経験から言うと、黒人に関する話題について議論するときは1〜2人の黒人に話を聞くのも悪くない。
人種問題が怖いことは分かっている。自宅以外の場所で、いろいろな人種について自分の考えを述べるほど勇敢な(愚かな?)人は少ない。自らの職を失いかねないからだ。
だが主流派メディアが人種問題を取り上げるとき、黒人の声を反映させないということが軽々しく許されるべきではない。形式だけの人種の多様性を保つは時代遅れかもしれないが、きちんと取材することは時代遅れではない。多様な意見を紹介すれば、こうした問題に関する報道の質を高めて読者や視聴者のためになる。