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台湾半導体半導体のモンスター企業TSMC、なぜ台湾で生まれ、世界一になれたか
THE FOUNDING FATHER
瞬間湯沸かし器とも言われる91歳のチャンはTSMCの経営に発言を続けている ANN WANG-REUTERS
<世界シェアは53.4%。現在、米中対立の中でその存亡に黄信号が灯っている。世界が重要視するTSMCを生んだのは「台湾半導体の父」と呼ばれる1人の男だった>
台湾積体電路製造(TSMC)は、世界の半導体製造シェアの53.4%を占める。このモンスター企業はなぜ台湾で生まれ、どうやって世界的企業に成長したのか。
TSMCの創始者は「台湾半導体の父」と呼ばれる張忠謀(モリス・チャン)だ。
1931年に中国浙江省寧波市で生まれ、国共内戦中の1948年、国民党支持者の父親ら家族と共に香港に脱出。その翌年にアメリカに渡り、ハーバード大学とマサチューセッツ工科大学で学んだ。
米半導体企業テキサス・インスツルメンツの半導体部門の幹部に昇進したチャンが台湾に移ったのは1985年。半導体産業を育成する工業技術研究院のトップとして招かれ、1987年にTSMCを設立した。
TSMCが世界的な企業に育ったのには2つの背景がある。
1つは政府による後押しだ。70年代の国連脱退とオイルショックでダメージを受けた台湾経済を復活させるため、国民党政府は半導体を基幹産業とする方針を固める。
外国で働く優秀な技術者の受け皿として、1973年に工業技術研究院を設立。工業技術研究院は聯華電子(UMC)など台湾の半導体企業を生む母体となり、チャンもこの国策の一環で台湾に移ってTSMCを創業した。
2つ目は台湾で半導体産業が育ち始めたタイミングで、水平型分業がこの業界に広がったこと。
半導体製造には高度な技術とさまざまな設備、それを維持するための膨大な資金が必要で、時に企業経営を圧迫する。自社の核心技術に資本を集中するため、80年代後半に設計を専門とするファブレス企業と製造専門のファウンドリ企業が生まれた。
半導体企業としては後発だったTSMCは、チャンの判断でファウンドリ企業となることを選択。経営資源を製造に集中したことが結果的に功を奏した。
「下請け」のTSMCが世界から重要視されるのは、その技術力ゆえだ。
半導体は電子回路線の幅が細ければ細いほど性能が向上するが、世界が目指す回路線幅2ナノ(ナノは1メートルの10億分の1)の開発でもTSMCは先行。唯一無二の技術力ゆえ、元請けと下請けの逆転現象が起きている。
中国、アメリカ、台湾を渡り歩く人生を歩んだチャン。彼のつくったTSMCが米中そして台湾経済のキープレーヤーになったのは、歴史の偶然か必然か。
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