「PCはカウンター・カルチャーから生まれた」服部桂の考える、人間を拡張するテクノロジー
Torus 写真:宮下マキ
社会を大きく変えた情報テクノロジーが普及した時代をジャーナリストとして40年もの間、見つめてきた人がいる。
服部桂(はっとり・かつら)さん。
私たちが普段使うパーソナル・コンピューターが生まれた時代の空気や影響を与えた人々、それらも含めたテクノロジーの進化をどうみているのかを自在に語ってもらった。自著、コラム、訳書を織り交ぜながら紹介する。
服部)私は1951年生まれで、団塊のちょっと後で戦後の若者文化の第一波を経験した世代です。戦後、社会とテクノロジーが劇的に変わる状況のなかで育ってきた、ある意味ラッキーな世代でした。
この時代にメディアやテクノロジーに目覚めるきっかけとなった「事件」がいくつかありました。最初の大きな事件は、地球のまわりを国境も関係なく飛び回る、ソ連が打ち上げた世界初の人工衛星「スプートニク」の打ち上げ(1957年10月4日)です。それは家と学校がすべてだった子どもが、自分の想像をはるかに超える「世界」「地球」「宇宙」という大きな存在の一部であることを意識した瞬間でした。
また東京オリンピックを翌年に控えた1963年11月23日、日米間で初のテレビの衛星中継(当時は宇宙中継と呼ばれていた)の実験が始まった日も衝撃でした。 早朝から長時間、準備のためのテスト用に砂漠の映像が延々と流されていて、画面が切り替わって最初に流れたのが、本来なら中継開始の挨拶をする予定だったケネディ大統領がダラスで撃たれたという一報だったのです。
それまで海外の映像といえば、数カ月遅れで上映されるニュース映画が主だった。ところが、テレビという電子メディアによって、地球の裏の「現在」の情報がリアルタイムに流れたのです。その時間と空間の差が消えたような感覚は、それまでに感じたことのない自分の世界観を覆すような不思議なものでした。
カウンター・カルチャーという思想
私が思春期を過ごした1960年代はベビーブーマーによる「カウンター・カルチャー」(対抗文化)が米西海岸を中心に広がり、旧来の価値観が大きく変わった時代でもありました。
若者はロックとドラッグで親世代の世界に対抗するカウンターカルチャー運動を巻き起こし、「情報は自由になりたがっている」と主張するスチュアート・ブランドが1968年に出した雑誌「ホール・アース・カタログ」が、ドロップアウトしたヒッピーたちの生活を地球規模の意識で目覚めさせる時代のバイブルとなり、この雑誌の最終号に書かれた当時の若者の生きざまを象徴するような 「Stay Hungry, Stay Foolish」という言葉は、スティーブ・ジョブズが2005年にスタンフォード大学の卒業式で、自分の人生を決定づけた言葉として引用することで、世界的に有名になった。(服部桂著『VR原論 人とテクノロジーの新しいリアル』)