過剰だけど美しいギャツビーの世界
A Rotten Crowd
偉大な小説『華麗なるギャツビー』の映画化は不可能だろうと思いつつ、偏見なしで見てみたら
F・スコット・フィッツジェラルドの小説『グレート・ギャツビー』の語り手ニック・キャラウェイは、「判断を留保するのは、いつまでも希望を抱いていたいからだ」と言う。だから筆者も、この20世紀の偉大な小説を映画にするのは不可能だろうと思いつつ、バズ・ラーマン監督の『華麗なるギャツビー』を偏見なしで見ようとした。
フィッツジェラルドやマルセル・プルースト、ウラジーミル・ナボコフ、バージニア・ウルフらの小説は文体で読ませるものだから、映画化は難しい。スタンリー・キューブリックの『ロリータ』にはいたずらっぽいユーモアが加えられたが、原作者ナボコフによる脚本は小説の語り口の妖しい魅力をことごとく消し去っていた。
オーストラリア出身のラーマンは『ロミオ&ジュリエット』『ムーラン・ルージュ』などの派手な娯楽大作で知られる。『華麗なるギャツビー』でも当然、淡々とした記述の続く原作は目まぐるしい3Dスペクタクルに変わった。
私は彼の映画を好かない。これでもかと言わんばかりの過剰なビジュアルに疲れてしまうからだ。しかし今回は、それほどひどくなかった。演出がくどいのは予想どおりだが、楽しめる映画に仕上がっている。しかもラーマンは原作の精神を大切に、ひたむきな敬意とポストモダン風の遊び心で取り組んでいる。
主な舞台となるきらびやかなパーティー場面で流れるのはJay-Z、カニエ・ウェスト、ラナ・デル・レイなどの曲。古いジャズではなく、今風の音楽を使ったのはサントラ盤を売りたいからだろうが、違和感はない。大金持ちになり、ピンクのスーツを着て豪邸に暮らすギャツビーは、今ならラップスターと言っていい。
物語はアールデコ様式が彩る「狂騒の20年代」に設定されており、時代考証は正確だ。ただし原作と違って、ニック(トビー・マグワイア)は「重篤なアルコール依存症」と精神障害の治療で療養所にいるという意外な設定になっている。
彼は医師にペンと紙をもらい、自分の物語を書き始める。その言葉が3D映像で彼の周囲を漂い、砕け散って雲になる。わざとらしいが、ニックを作家にした思い付きは悪くない。
3D効果でシャツも迫力
マグワイアは静謐な演技を披露する。彼が朗読する原作の素晴らしい引用は、なんとも心地よく耳に響く。
物語自体は、アメリカの高校を卒業した人なら誰でも知っているはず。ニックがロングアイランドに借りた家の隣の大邸宅には、正体不明の大富豪ジェイ・ギャツビー(レオナルド・ディカプリオ)が住んでいる。
ギャツビーが開くパーティーで、ニックは彼からデイジー(キャリー・マリガン)に会わせてくれと頼まれる。
ギャツビーはかつてニックのいとこのデイジーを愛していたが、若くて貧しかったため恋は成就しなかった。デイジーはいま海を挟んだ対岸で傲慢な金持ちの夫と暮らしている。常にそばにいるのは、親友のゴルフ選手ジョーダン・べイカーだ。
こうした富裕だが浮草のような人々にニックは引かれる。しかし彼らの軽率さが引き起こした事件をきっかけに、「くだらない連中」と思うようになる。