――地元の人々の撮影妨害を受けて、最終的にイルカ漁の様子を「盗み撮り」しているが、撮影許可をめぐり太地町側ときちんと交渉はしたのか。
まず言っておきたいが、私はあくまで出演者の1人であり、製作側の人間ではない。映画の企画にはまったく関わっていないし、隠し撮りをするという決定とも無関係だ。ただ、撮影隊は町長や地元の漁業組合に撮影依頼をしたとは聞いている。しかし断られたということだ。
太地町には約3500人の住民がいるが、二十数人の漁師と食肉処理場で働いている人以外、大多数の住民はイルカ漁とまったく関係がない。町自体も非常に平和な場所で、夜も家のカギをかけない、車のカギは入れっぱなしで、自転車のカギもかけない。一握りの人たちがやっていることで町全体が非難されたり、日本人全員が悪人であるかのように勘違いされてしまうのは非常に残念。日本人は平和的で礼儀正しい人々だ。
確かに世界の人々は、「彼ら(they)はあんなにひどいことをしている」と言う。その「they」という言葉の使い方を、私はすごく不満に思っている。
――でも、そうした誤解を招いた責任がこの作品にはあるのでは。
それはその通りだ。ただ、この映画は1人の西洋人、1人の映画監督の視点で作られている。そうした文脈の中で見る必要がある。
私は『ザ・コーヴ、再訪』という映画を作ってもらいたくて、日本人のプロデューサー、監督、脚本家をずっと探している。日本人の視点から見た『ザ・コーヴ』第2弾で、そこでは太地町長や町議の話を取り上げる。『ザ・コーヴ』の監督はもう次の映画製作に移っているが、私はこれからも太地の問題に取り組んでいく。
――イルカ漁に反対する理由は? その知能の高さか?
陸と人間、海とイルカは同じような関係だと思う。彼らは魚ではない。恒温動物だし、酸素を吸う。人間の脳より大きな脳を持っていて、人間のように自己認識ができる。人間は鏡に写った自分を自分と理解するが、イルカにもそのぐらいの知能がある。
太地に行き、あのひどく残虐な漁を目の当たりにすると、イルカを殺す漁師以上にイルカの売買を行う人々や調教師に怒りを感じる。もしかしたら漁師たちは、自分たちがやっていることを理解していないのかもしれない。「鯨」という漢字に魚偏がついていることで、「大きな魚だ」という意識があるのだろう。
調教師たちはもっとイルカのことをわかっている。彼らはイルカに名前をつけ、毎日、目と目を合わせてコミュニケーションを取っている。調教師は暴力的なイルカ捕獲作業にも関わっていて、ある意味で漁師よりもっとたちが悪いと思う。
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