『第9地区』の空疎な企業叩き
They Came From the Boardroom
エイリアンが登場する傑作短編映画から生まれたが、「企業=悪」という陳腐な設定に流れた駄作
宇宙人飛来の結末は、大いなる歓喜かバイオレンスのどちらかだと私たちは思いがちだ。運がよければ、彼らはまばゆい宇宙船から音楽を聞かせたり(『未知との遭遇』)、老人を若返らせたりしてくれる(『コクーン』)。
そうでなければ、地球の水を盗もうと巨大な宇宙船から出撃してきたり(『インデペンデンス・デイ』)、人間の血を吸い取って肥料にしようとする(『宇宙戦争』)。
地球を侵略するエイリアンは天使か悪魔。そう思っていたのに、ただの厄介者だとしたら?
ニール・ブロムカンプ監督の『第9地区』は、宇宙船が南アフリカ上空で立ち往生してから28年後を描く。船に乗っていた昆虫に似たエイリアンたちは地球に降り立ち、ヨハネスブルクの劣悪な隔離地区で難民として暮らしている。
作品の宣伝では「エイリアン・アパルトヘイト(隔離政策)」というテーマが強調された。インターネットで「人間と同じ権利を与えるべきか?」の答えを募ったり、街中のバス停に過去の黒人差別をもじった「人間専用」と警告するポスターを貼ったりした。
だが最高の宣伝ツールは、この映画の基になった6分間の短編映画だ。ブロムカンプが05年に撮った『アライブ・イン・ジョブルク』で、偽のニュース映像や街頭インタビューを交えながら、虐げられたエイリアンへの同情を誘う。
その顔には犯罪者のようにモザイクがかけられている。彼らがエイリアン語で哀しげに訴えると、「電気が欲しい......こんな場所には住めない......水なしではひからびてしまう」という字幕が入る。
たった数分間の作品がこれほど見る者の感情を揺り動かすことに驚いたが、残念なことに長編はそうならなかった。『第9地区』からは伝わってくるものが何もない。
突っ込みどころが多すぎる
エイリアンたちはやがて、ヨハネスブルクから遠く離れた難民キャンプに強制移住させられる。彼らを管理しているのは、政府から委託を受けた企業マルチナショナル・ユナイテッド(MNU)だ。
主人公のビカスは、エビ(地元住民はエイリアンをこう呼ぶ)の移住を担当するMNU職員。任務に取り組むうちに、本物の怪物は企業のお偉方であることに気付く。
MNUの科学者は、エイリアンが保有する武器の商品化を狙っている。エイリアンを射撃訓練の標的にもしているが、その理由はよく分からない(ほかにも突っ込みどころが多過ぎて書き切れない)。
映画は激動する社会の原動力を掘り下げずに、おなじみの「大企業=悪」の図式を見せ付けるだけ。
SF映画でこれほど陳腐なネタはない。最近では『月に囚われた男』(日本公開4月10日)や『WALL・E/ウォーリー』がそう。『ブレードランナー』ではタイレル社が人造人間の悲劇を生み、『エイリアン』シリーズではウェイランド・ユタニ社の生物兵器部門が大殺戮を招いた。
地球に来た異星人は、人間の移民と同じように興味深いテーマになる。かつては『エイリアン・ネイション』『地球に落ちてきた男』『スーパーマン』など、地球に残された異星人を通して人種間の関係や同化を考える作品があった。なのに最近のSF映画は、大企業の脅威にばかり焦点を当てている。
たぶん、私が『第9地区』に多くを求め過ぎているのだろう。ロサンゼルス・タイムズ紙によるとブロムカンプは、社会の声に耳を傾け過ぎると「まじめで息苦しい映画になり、気楽に楽しんでもらえない」と悩んでいたという。
隔離されたエイリアンを軽いノリで描くのはブロムカンプの自由だ。しかしそれが目標なら、企業悪を持ち出す必要はない。お気楽映画に徹したらよかったのに。
(Slate.com特約)
[2010年4月 7日号掲載]