アクションに徹したスタトレ最新作
Enterprise Ethics
テレビシリーズの特徴だった倫理的な問い掛けや理想主義が切り捨てられて、マニアはがっかり。だが娯楽大作としては今年の目玉の一つ
ロボットやエイリアンがどれだけ出てきても、SFの本当のテーマは「人間」だ。『スター・トレック』も例外ではない。
このシリーズは66年にテレビドラマとしてスタートして以来、宇宙を舞台にしながら、人間について哲学的な問いを投げ掛けてきた。戦争、環境、宗教、性差別、人種差別、動物愛護、性的志向など、過去40年の論点はほぼ網羅した。
例えばテレビシリーズ『宇宙大作戦』の第67話「キロナイドの魔力」には、その外見のために不当な扱いを受ける奴隷が登場する。カーク船長が彼に言う。「私の故郷では、体形や肌の色が問題になることなどない」
この回が放映されたのは68年。公民権運動真っ盛りの時代で、マーチン・ルーサー・キング牧師が暗殺されて7カ月半後のことだ。この回には、テレビ初の黒人と白人のキスシーン描写もあった。
「普通なら考えもしないことを考えさせるドラマだった」と語るのは、『スター・トレックの倫理』の共著者でインディアナ州立大学教授のジュディス・バラド。「未来への希望を示し、誰もが目指せる目標を示した。だからこそ長続きしたのだと思う」
だが、5月8日に全米公開された最新の映画版は違う。哲学的というより、筋肉系のノリなのだ。ややこしい倫理的な問題は影を潜め、アクションシーンと特殊効果ばかりが目立っている。
「艦隊の誓い」もどこへやら
最新作は、エンタープライズ号のおなじみの面々がどんな経緯で集まったかを描く。登場人物の個性は変わらないし、宇宙船のリアルさはシリーズ史上最高だ。
その一方で、政治や道徳に絡む要素が消えてしまった。これまでのシリーズは、争いを批判したり、寛容さを説くことが多かった。ところが最新作が描くのは、戦争で荒れ果てた未来。醜い復讐劇が渦巻き、大爆発がやたらと起こる。
「このシリーズで大事なのは、特殊効果じゃない。人間の在り方だ」と語るのは、シリーズの生みの親ジーン・ロッデンベリーのアシスタントを長く務めたスーザン・サケット。「多くのエピソードに、学ぶべき教訓があった」
SFはいつも、製作された時代を映し出す。『スター・トレック』が初めて放映された頃には、人種差別や女性解放、ベトナム戦争、冷戦が大きなテーマだった。
シリーズはこれらをしっかり扱っていた。ウフーラ通信士は、テレビで初めて主要な役を与えられた黒人女性だ。アメリカでソ連が最も敵視されていた時代に、エンタープライズ号にはロシア人クルーのパベル・チェコフがいた。
惑星連邦の「艦隊の誓い」は、異星人の文化に干渉してはならないと定めていた。サケットによれば、ロッデンベリー流のベトナム戦争批判である。
最新作の脚本をアレックス・カーツマンと共に担当したロベルト・オーチー(『トランスフォーマー』などの脚本も手掛けた)は、道徳的な側面が欠けているという指摘に納得していない。「欺くということの本質を追究した作品だ」と、彼は言う。
トレッキーには裏切り行為
オーチーによれば最新作が目指したのは、古いファンを満足させながら、新しいファンを獲得すること。そのため、どこかを切り捨てなくてはならなかった。切られたのは、人間は人間とではなく、エイリアンとだけ戦うという未来のイメージだ。「初期のシリーズには、理想論的過ぎるという批判もあった」と、オーチーは言う。
確かにふに落ちない部分はあった。人種差別や性差別に批判的なくせに、女性乗組員はミニスカートをはき、船長は魅力的なエイリアンとベッドを共にして、主要人物3人(カーク、スポック、マッコイ)は白人男性だった。
それでも「希望」というシリーズのメッセージは、当時としては画期的だった。何世代にもわたる視聴者の共感を得たことも確かだ。
オーチーは、放映当初のシリーズが60年代を映し出したのと同じことを、最新の映画版で目指したという。「やり過ぎないように気を付けながら、ここ10年ほどの出来事に結び付けようとした。例えば9・11テロもそうだ」
なるほど。だとしたら、オーチーらの現代を見る目が、40年前のオリジナル版より悲観的ということなのだろうか。道徳的な教訓もまったく見当たらないのだが。
今年の娯楽大作の目玉であることは確かだろう。しかし社会への問い掛けを放棄したこの映画が、『スター・トレック』の精神とファンに忠実なはずはない。
[2009年5月27日号掲載]
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