戦国武将マンガの金字塔『花の慶次』、原哲夫はジャンプ連載時「苦しかった記憶しかない」
©隆慶一郎・原哲夫・麻生未央/コアミックス 1990
<戦国一の傾奇者を描いた『花の慶次』。作品を通してその名が世に知れ渡ったのが、武将・前田慶次だ。男気あふれる彼の魅力と、1990~93年の連載時の制作秘話を、漫画家の原哲夫に訊いた>
※明智光秀はなぜ「本能寺の変」を起こしたのか? 「関ヶ原の戦い」で真の裏切り者は誰だったのか? 戦国時代には多くの謎が残され、そんな歴史の悪戯が人々の興味関心を惹きつけることで、それらを題材としたエンターテインメント作品も数多く生まれてきた。あらゆる角度から戦国武将の実像に迫ったPen最新号「戦国武将のすべて」より。
特装版は、原哲夫による『花の慶次』が表紙
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『花の慶次―雲のかなたに―』は、『週刊少年ジャンプ』(集英社)で1990年春から3年間にわたり連載された、戦国時代後期を舞台とした漫画作品だ。
主人公は、滝川益氏の次男にして前田利久(としひさ)の養子となった、前田慶次こと前田慶次郎利益(けいじろうとします)。天下一の傾奇者(かぶきもの)と謳われた慶次の、信念を貫き「傾(かぶ)く」、自由な生き様を描いた活劇である。
時代小説作家・隆慶一郎の『一夢庵風流記(いちむあんふうりゅうき)』を原作に、漫画を手がけたのは、『週刊少年ジャンプ』黄金期の礎を築いた作品のひとつ『北斗の拳』の作者・原哲夫だ。
「病床ながら隆先生は原作を引き受けてくださり『雲のかなたに』の副題もいただいたのですが、数カ月後に亡くなられました」
隆の漫画連載はかなわなかったが、病室で聞いた隆の言葉で、原さんは決意を新たにする。
「実は慶次に関する史実は、ほんのわずかしか存在しません。しかし先生は、『だからこそ作家が自由に創作できる』と。私も原作のままでなく、行間を描いてこそ、漫画家の仕事だと思っていましたので、先生の言葉に深く共感し、改めて意欲が湧きました」
『花の慶次』の魅力といえば、慶次の強さと優しさ、そしてなにより、圧倒的な格好よさに尽きる。
「僕自身、読後感の爽やかな勧善懲悪なヒーローものが好きなのです。主人公も男の理想像を具現化した存在として、魅力的に描くことが私の使命だと思いました。私は男の"華"を描いているのです」
身の丈六尺五寸(約197cm)の体躯を誇り、鉄製の朱槍(しゅやり)を軽々と振り回し敵をなぎ倒す豪傑である一方、命をかけて傾き通す慶次は、まさに男が男に惚れるヒーローそのもの。その戦いや言動、そして振る舞いに心躍らされた読者も多いことだろう。
しかし、当時は"ジャンプ黄金期"と称される時代。実は原さんにとって、連載していた3年間は毎週が試練であったようだ。
「当時、少年漫画誌で時代劇はタブーでした。その常識を破ったことに意義はあったと思うが、やはり読者アンケートでは上位を狙えず打ち切り候補でした。状況を打破しようと慶次の顔を変えたりと試行錯誤もしましたが、常に苦しかった記憶しかないですね」
『北斗の拳』で一世を風靡した人気漫画家から一転、毎週、打ち切りの恐怖と戦いながら執筆を続ける苦境へ。そんな原さんを支えたのが、佐賀鍋島藩士の山本常朝(つねとも)による、藩主に仕える武士の心得などを記した口伝集『葉隠(はがくれ)』だ。