自己実現か社会貢献か、物質主義か非物質主義か──古い「転職」観は捨てよ
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<かつて転職がタブーだった日本だが、欧米でも長らく垂直的職業移動は難しかった。いま転職をどう考えるべきか>
日本が高度成長への助走をはじめた1960年代以降、サラリーマンにとって、会社はわが家と同様な存在になってきた。「モーレツ社員」「会社人間」等の言葉が世間に出回ってきたのは丁度この頃である。家族のために、身を捨てて働く――まさに「忠臣蔵」の忠臣のごとく、日本のサラリーマンは企業のために献身していたのである。
その根底には、経営者は「親」であり、従業員は「子」であるという<温情主義的経営>(paternalistic management)の価値観が存続していたことがある。それを支えていたのが「終身雇用」という雇用慣行であった。いったん、その会社に身を委ねてしまえば、一生、会社のために尽くすという「運命共同体的な精神」が経営者にも従業員にも共有されていたのである。
この時代、「転職」はタブーであり、「ころがる石には苔がつかない」といった言葉に代表されるように、転職する人間は社会のはずれ者か、外資に魂を売った人間か、といったような見方をされていた。
ドイツでは10歳で選択、階級移動は欧米では難しい
「転職」という言葉は比較的新しい言葉であり、「勤め先(会社)あるいは雇用主を変えること」を意味している(渡辺深『転職のすすめ』講談社現代新書、1999年)。
これに対して欧米では、「転職」に相当する言葉(社会学用語)としては「職業移動」(occupational mobility)がある。これは「職種や職位などによって規定される、職業上の位置の変化」であり、(1)経済的・社会的水準の変化を伴わない<水平的職業移動>と、(2)経済的・社会的水準の変化を伴う<垂直的職業移動>がある、とされている(濱嶋朗他編『社会学小事典』有斐閣、1997年)。
同じ職種間の移動や異なる職種間の移動、つまり、ブルーカラー層内での職種の移動(水平的移動)とブルーカラー層からホワイトカラー層への移動(垂直的移動)の2種類があるということだ。
これは日本では珍しいことではないが、欧米のように伝統的な階級社会では、ブルーカラー層からホワイトカラー層への職業移動はきわめて難しいのが実態だ。
英国の「鉄の女」といわれた、故サッチャー女史の生家は食糧雑貨商(父親は地元の名士で、市長まで務めた)だが、オックスフォード大学を卒業後、企業の研究員を経て、弁護士になり、国会議員になって、首相まで上りつめ、貴族(一代貴族)となった希有な例だ。
ドイツでは、若者は基礎学校(日本の小学校に相当し4年制-10歳まで)を終えると、(1)技術系の中等学校(基幹学校・実科学校と呼ばれる)か、(2)ギムナジウム(大学進学のための学校)、のいずれかの進学選択をすることによって、将来の所属階層、すなわち、下流階級か上流階級ないし中流階級か、という人生選択の道が決められるのである。