最新記事

金融

日本の円安戦略を世界が歓迎すべき理由

他国にとってはダメージどころか、長期的には世界経済を押し上げるきっかけになる

2013年3月25日(月)15時09分
マシュー・イグレシアス(スレート誌経済・ビジネス担当)

広がる懸念 安倍政権誕生後の急激な円安進行に世界は不信の目を向けているが Toru Hanai-Reuters

 ブラジルのマンテガ財務相が量的緩和(QE)などの金融緩和は通貨戦争をもたらしかねない、と世界に警鐘を鳴らしたのは2年前のこと。日本の安倍政権が掲げる経済政策への期待から円安が進み、フランスのオランド大統領がユーロが高過ぎると懸念を示す今、通貨戦争を危ぶむ声はいよいよ高まってきた。

 マンテガは最近、欧州が通貨引き下げに加われば通貨戦争がさらに深刻化すると警告。仏銀大手ソシエテ・ジェネラルの外国為替担当者は「通貨戦争を回避する具体的手段が分からない」と語り、評論家アーウィン・ステルザーは、「レーニンなら通貨戦争を歓迎しただろう」とウイークリー・スタンダード誌に書いた。資本主義打倒の一歩になるからだ。

 だが心配することはない。これで欧米諸国の失業率が下がり、途上国の工業化に拍車が掛かるかもしれないのだ。

通貨高は「豊かさ」の結果

 通貨戦争は、各国の中央銀行と政府が自国通貨の価値を操作することで起こる。例えば、10年にアメリカが始めた「量的緩和第2弾(QE2)」が通貨戦争のきっかけだという意見がある。FRB(米連邦準備理事会)は通貨供給量を増やして長期金利を引き下げる。通貨供給量が増えて金利が下がればドル安になりやすい。つまりQE2は、為替相場を下げて経済を立て直すアメリカの陰謀だというのだ。

 ドル安になればアメリカの輸出企業に有利で、輸入品を買う意欲は減る。純輸出の伸びが、経済を押し上げる可能性がある。

 だがこれは「戦争」ではない。ある国が通貨安になれば他国の産業が打撃を受けて失業者が増える、という考えが正しいとは限らない。ブラジルの製造業で失業者が増えれば、スラム街を壊して住宅を建設する労働力が確保しやすくなるかもしれない。中国のような国では豊かになるにつれ、搾取工場の労働者が減り、地元密着型の料理人、医師、教師などが増えると考えられる。

 通貨高は豊かさへの起爆剤、または豊かになったことの結果かもしれない。貧しい国々が豊かな国々に追い付く過程で、彼らの通貨が対ドルやユーロで強くなっても不思議ではない。

世界恐慌で何が起きたか

 通常の為替変動が通貨戦争に転じるのは、報復合戦が始まった時だ。日本の景気刺激策で円安が進めば、欧米の輸出企業に打撃を与える。そこでイングランド銀行(英中銀)はポンド安に誘導する。そうなればアメリカとユーロ圏も、金融緩和で通貨引き下げを迫られる。

 本物の戦争ではどちらが勝っても双方が傷つくが、金融政策は違う。主要国が一斉に金融緩和をすれば相対的な為替レートは変わらず、何も起こらない。それどころか、良い結果をもたらすこともある。例えば世界大恐慌後の31年にイギリスが金本位制から離脱するとノルウェーやアメリカやフランスなどが追随。金の保有量とは関係なく通貨が発行できるようになり、世界経済は一時上向いた。

 通貨安になればインフレになり、モノの値段は上がる。家庭は耐久消費財を買い急ぎ、企業は設備投資を増やす。余剰労働力や稼働していない工場がある国ほど有利だ。増産や雇用拡大の余力が大きいからだ。

 だからすべての国の純輸出が一斉に増えるわけではないが、得意分野の輸出を増やすことはできる。アメリカはより多くの航空機を、日本は自動車を、ヨーロッパは工作機械を──。つまり、金融緩和をすれば雇用や収入が増え、カネ回りが良くなる。これは戦争ではなくパーティーだ! 欧米諸国は日本の円安戦略に怒るより、仲間に加わるべきなのだ。

© 2013, Slate

[2013年2月26日号掲載]

今、あなたにオススメ
ニュース速報

ワールド

トランプ氏、1カ月半内にサウジ訪問か 1兆ドルの対

ビジネス

デフレ判断の指標全てプラスに、金融政策は日銀に委ね

ワールド

米、途上国の石炭からのエネルギー移行支援枠組みから

ビジネス

トランプ氏、NATO加盟国「防衛しない」 国防費不
今、あなたにオススメ
MAGAZINE
特集:進化し続ける天才ピアニスト 角野隼斗
特集:進化し続ける天才ピアニスト 角野隼斗
2025年3月11日号(3/ 4発売)

ジャンルと時空を超えて世界を熱狂させる新時代ピアニストの「軌跡」を追う

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    「テスラ時代」の崩壊...欧州でシェア壊滅、アジアでも販売不振の納得理由
  • 2
    「コメが消えた」の大間違い...「買い占め」ではない、コメ不足の本当の原因とは?
  • 3
    113年間、科学者とネコ好きを悩ませた「茶トラ猫の謎」が最新研究で明らかに
  • 4
    著名投資家ウォーレン・バフェット、関税は「戦争行…
  • 5
    一世帯5000ドルの「DOGE還付金」は金持ち優遇? 年…
  • 6
    強まる警戒感、アメリカ経済「急失速」の正しい読み…
  • 7
    イーロン・マスクの急所を突け!最大ダメージを与え…
  • 8
    定住人口ベースでは分からない、東京23区のリアルな…
  • 9
    テスラ大炎上...戻らぬオーナー「悲劇の理由」
  • 10
    34年の下積みの末、アカデミー賞にも...「ハリウッド…
  • 1
    「テスラ時代」の崩壊...欧州でシェア壊滅、アジアでも販売不振の納得理由
  • 2
    テスラ離れが急加速...世界中のオーナーが「見限る」ワケ
  • 3
    イーロン・マスクへの反発から、DOGEで働く匿名の天才技術者たちの身元を暴露する「Doxxing」が始まった
  • 4
    アメリカで牛肉さらに値上がりか...原因はトランプ政…
  • 5
    ニンジンが糖尿病の「予防と治療」に効果ある可能性…
  • 6
    「浅い」主張ばかり...伊藤詩織の映画『Black Box Di…
  • 7
    イーロン・マスクの急所を突け!最大ダメージを与え…
  • 8
    「コメが消えた」の大間違い...「買い占め」ではない…
  • 9
    「絶対に太る!」7つの食事習慣、 なぜダイエットに…
  • 10
    ボブ・ディランは不潔で嫌な奴、シャラメの演技は笑…
  • 1
    テスラ離れが急加速...世界中のオーナーが「見限る」ワケ
  • 2
    【一発アウト】税務署が「怪しい!」と思う通帳とは?
  • 3
    「テスラ時代」の崩壊...欧州でシェア壊滅、アジアでも販売不振の納得理由
  • 4
    口から入ったマイクロプラスチックの行く先は「脳」…
  • 5
    「健康寿命」を延ばすのは「少食」と「皮下脂肪」だ…
  • 6
    がん細胞が正常に戻る「分子スイッチ」が発見される…
  • 7
    戦場に「北朝鮮兵はもういない」とロシア国営テレビ.…
  • 8
    人気も販売台数も凋落...クールなEVテスラ「オワコン…
  • 9
    細胞を若返らせるカギが発見される...日本の研究チー…
  • 10
    イーロン・マスクへの反発から、DOGEで働く匿名の天…
トランプ2.0記事まとめ
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story
MOOK
ニューズウィーク日本版別冊
ニューズウィーク日本版別冊

好評発売中