「経済成長なき幸福」という幻想
無成長論者には技術革新の潜在力への視点が欠けている
戦後最大の経済危機に、欧米優位性の低下を混ぜて、地球温暖化という黙示録的警告を加える。すると、急進的で目新しいアイデアが出来上がる。
今のヨーロッパに渦巻く時代精神は、新しげな装いをしていても中身は古い思想の焼き直しにすぎない。経済成長には限界があり、またそうあるべきという考えだ。資源は乏しく、人口は増え過ぎ、海面は上昇しているのだから......。
イギリスでは政府委員会が、経済成長を前提としない「定常型経済」を目指す計画をまとめた。持続可能な社会のために今後の経済成長は諦め、労働時間を減らし、大量消費を抑えるためにテレビ広告を禁じるという。
『出口──成長なき繁栄』という本がベストセラーになっているドイツでは、国民に倹約を勧めるこの手の本が花盛りだ。
フランスのニコラ・サルコジ大統領は、もっと働いてもっと稼げと国民にハッパを掛けて政権の座に就いた。そんな彼がいま支持しているのは、GDP(国内総生産)成長率を追い求めるのは「フェティシズム(物神崇拝)」であり、国民の幸福度を測る新たな基準が必要だという専門家の主張だ。
世界経済が再び急成長を遂げる状態に戻るとは考えにくい。かつて成長と見なされていたものの大部分は、信用取引や不動産価格のバブルで水増しされていた。08年に穀物や原油の価格が急騰したとき、今のペースで資源を消費し続けることには無理があると私たちは思い知らされた。
GDPで人類の進歩を正しく測れるかどうかを議論するのは重要だが、目新しいことではない。GDPは繁栄の指標として最もふさわしいが、それ自体が目的にはならないことを誰よりも先に認めたのはエコノミストたちだった。
それでも、現代の「無成長論者」は多くの先人と同じ過ちを犯しているようだ。
資本主義に居心地の悪さ
経済学者トマス・ロバート・マルサスは1798年の『人口論』で、人口が増え続ければ飢餓は避けられないと予想した。国際的な研究団体ローマ・クラブは1972年の報告書『成長の限界』で、80年代には主要な資源が世界的に不足し始めると警鐘を鳴らした。
これらの主張では、資源利用の増加や環境汚染の進み具合を既知の数値を基に予測している。しかし、技術革新や環境規制、効率性の向上や行動上の変化は十分考慮に入れていない。
例えば『出口』の著者マインハルト・ミーゲルは、世界は食料難に向かっていると指摘する。だが彼は、遺伝子組み換え技術や品種改良技術の潜在力などをほとんど無視している。
こうした誤りは見過ごされがちだ。無成長論者の主張は経済的・技術的な理由ではなく、知的・政治的な観点からヨーロッパで共感を呼んでいるからだ。成長に批判的な人々は常に、根底のところで資本主義そのものに居心地の悪さを感じている。だから資本主義が人々の期待を裏切ったとみるや、彼らのような批判が主流になっても驚くに当たらない。
ローマ・クラブが最初に注目を集めた70年代、景気は長期にわたって低迷していた。環境問題が話題になり始めたのもこの頃だ。
成長批判の震源地がヨーロッパで、先導者がフランスの大統領という点にも納得がいく。世論調査を見ると、市場経済に世界一不信感を抱いているのはフランス国民だ。フランスの学校で使われている一般的な教科書には、「経済成長は人々に多忙な生活を課すもので、過重労働やストレス、神経衰弱、循環器疾患や癌などを招く」という記述がある。