規制を拒むウォール街の厚顔無恥
国民の生活をさんざん引っ掻き回した末に税金で救済された金融機関は、オバマの金融規制案に文句を言う資格はない
戦闘開始? ホワイトハウスで金融規制案を発表するオバマ(1月21日)。左は同案の取りまとめで大きな役割を果たしたポール・ボルカー元FRB議長 Kevin Lamarque-Reuters
一連の金融危機を生き延びたウォール街の大手金融機関がワシントンに憤慨している。怒りの原因は、金融機関の救済につぎ込まれた納税者の金を取り戻し、08年のパニックの再来を防ぐために米議会やオバマ政権が導入しようとしている措置だ。
議会は、金融機関の幹部や社員の受け取るボーナスに対して高い税金を課すことを検討。バラク・オバマ大統領は、大手金融機関の負債に対して新しい税を課すことや、連邦預金保険制度の保証対象の資金を用いた自己勘定投資を規制することなどを提案した。
ウォール街の反発は強い。特にオバマの金融規制案は「貸し出しを抑制し、リスクを増大させ、金融システムの安定性を阻害し、(金融機関の)雇用創出能力を制限する」と、大手金融機関の業界団体「金融サービス円卓会議」のスティーブ・バートレットは言う。
要するに金融界は、政府や国民に口をはさまれたくないと思っている。しかしそれを言うのであれば、金融界が国民の生活をかき回すのをやめるのが先だろう。
この40年間、投資銀行はアメリカ社会で大きな顔をして振る舞ってきた。投資銀行は言ってみればアメリカ人の家にずかずか上がり込み、冷蔵庫を物色して食い散らし、08年には家に火を付けた。その挙げ句、アメリカ人が家をリフォームしようとすると、そんなことをされると自分たちの贅沢な生活が妨げられると文句を付け始めた。
始まりは投資銀行の株式公開
始まりは、71年にメリルリンチが株式を上場したことだった。モルガン・スタンレー、ベアー・スターンズ、リーマン・ブラザーズ、ゴールドマン・サックスも後に続いた。元々パートナーシップ(共同経営)制を採用していた投資銀行が相次いで株式公開に踏み切ったのは、国際競争に生き残り、自己勘定取引などリスクの高い大規模な取引を行うための資金を調達することが目的だった。
株式公開で規模を拡大した投資銀行は、政府による規制の内容を大きく左右する力も持つようになった。
この10年間にアメリカの金融規制当局が行った最悪の判断の1つは、04年に証券取引委員会(SEC)がルールを変更し、投資銀行が借り入れられる金額に対する制限を撤廃したこと。この措置は、ウォール街の5大投資銀行の熱烈な働き掛けにより実現したものだった。破綻時にリーマン・ブラザーズが抱えていた負債は6000億ドルを超えていた。パートナーシップや株式非公開企業ではありえない数字だ。
しかもパートナー制を捨てた結果、投資銀行経営陣の無責任な行動に対する歯止めが利きにくくなった。本来は取締役会がチェック機能を担うべきだが、現実には経営陣の行動を追認するだけの場合がほとんどだ。「取締役たちは経営陣の行動に注意を払っていなかったり、リーマンなどのように、わざわざ資質のない人物が選ばれている場合もあった」と、リーマン・ブラザーズとベアー・スターンズに勤務していた経験を持つジョン・ギレスピーは言う。
口をはさむのは国民の権利
リーマン・ブラザーズが08年に破綻したとき、同社の株式は紙くず同然になり、およそ450億ドルの株主の金が消し飛んだ。ベアー・スターンズは、FRB(連邦準備理事会)の支援を受けた金融大手JPモルガンに超格安価格で買収されて、どうにか破綻を回避した。
モルガン・スタンレーとゴールドマン・サックスは、独立した企業として存続できているが、それは政府が巨額の公的資金を注入したおかげにほかならない。しかもモルガン・スタンレーの株価は、1月末の時点で98年前半の水準に落ち込んだままだ。