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バルカン化する欧州の恐怖
身勝手な欧米諸国の対応が、コソボやマケドニアの混乱を助長する
バルカン半島を舞台とした悪夢が再びよみがえった。6月15日、コソボは国連から統治権を引き継ぎ、完全な独立を宣言する見通しだ。だが、NATO(北大西洋条約機構)はセルビア系住民が集中するコソボの北部地域に「治外法権」を暗に認めてしまっている。
3月には北部ミトロビツァでセルビア政府から武器の提供を受けるセルビア系住民と、NATOや国連部隊との間に大規模な衝突が発生。国連部隊の1人が死亡し、多数の負傷者が出た。6月1日に行われた隣国マケドニアの総選挙では、選挙の不正に抗議する政治活動家に警官が発砲し、1人が死亡している。
こうしたバルカン情勢に対して、欧米はまるで沈黙しているかのようだ。100年以上前、ドイツ帝国の初代宰相ビスマルクは「バルカン地域には、(ドイツ北部の)ポメラニア兵士1人分の命の価値もない」と言って、この地域に関与しなかった。現在のEU(欧州連合)やNATO、国連は意思や指導力がないためか、バルカン問題を見て見ぬふりをしている。ヨーロッパの一員としての未来よりバルカンの過去を重視する、セルビアでの愛国心の高まりも深刻な問題の一つだ。
NATOは99年にはコソボ問題に介入した。2年後には、国家主義の高まりで生じたアルバニア系住民への敵対感情を懸念し、マケドニアに大規模な介入を断行。その年、NATOのジョージ・ロバートソン事務総長(当時)はEUの担当者とともに何度もマケドニアを訪問した。
しかし現在、これらの国際機関はコソボを優先課題から除外し、地域の混乱を許している。ミトロビツァで発生した3月の衝突では、フランスから派遣された部隊が鎮圧に失敗。国連とフランス政府が協議する間、手をこまねいて見ていることしかできなかった。
イギリスは02年、混乱収束を見越してコソボから軍を引き揚げたが、今になってイラク帰りの戦闘部隊を6カ月間コソボに派遣している。それでもセルビアは、イギリス兵がアフガニスタンで不足していることを見抜き、撤退を気長に待っている。
コソボ問題を主導するEUの対応は、セルビアに対する国際圧力を弱めてもいる。EUはセルビアとの加盟準備交渉で、ボスニア紛争の戦犯で、セルビア人勢力を率い虐殺に関与したとされるラトコ・ムラジッチの国際戦犯法廷への引き渡し要求を取り下げた。
影響力を増すロシアに対抗できず
さらに、ほとんどのEU諸国がコソボの独立を承認するなか、スペインやギリシャは、ロシアやセルビアと同じ反対派に回った。スペインは中南米諸国に新国家の承認拒否を求め、セルビアによる独立取り消しの動きに加担し、地域の永続的な平和を危うくしている。
一方、アメリカはマケドニアにNATO加盟の扉を開くと約束したが、現政権が終わりに近づく今、外交的な影響力は限られている。国内に同じ地名をもつギリシャの反発もあり、マケドニアのNATO加盟の夢は絶望的だ。
バルカン半島で影響力を増しているのは、常々この地域を自国の裏庭と考え、干渉を行ってきたロシアだ。ロシアはこの地に権力を及ぼすことで、国際舞台における自国の復活をアメリカやEUに認めさせようとしている。
ルーブルが経済を支配しつつあるモンテネグロは、ほとんどロシアの植民地状態だ。ロシアは金とエネルギーをちらつかせて、バルカン全域に影響力を広げつつある。セルビアでもロシア寄りの勢力が拡大し、政府の親EU路線に対抗。国連もマルッティ・アハティサーリ前フィンランド大統領が提示した、少数派の保護を含むコソボの独立計画に対するロシアの拒否を許してしまった。
バルカン半島は偏狭な国粋主義と規律のない経済、腐敗した政治、犯罪行為といったかつての姿へと逆行している。ビスマルクの時代なら、地域に混乱を招くだけの自業自得とすますこともできたが、現在はこれらの問題がヨーロッパ全体に拡大するおそれもある。EU諸国は、密売人や密輸業者、不正選挙や暴力組織に対する取り締まりをする代わりに、セルビア政府に譲歩し、バルカン半島の悪しき風習を復興させている。
ブルガリアやキプロス、ギリシャ、スペインは、EUが推進するコソボ独立の承認を拒否。EUとNATOの加盟国は団結するどころか、ヨーロッパ全体の政策より自国の考えや利益を優先し、こぜりあいばかりしている。
このことは、バルカンのヨーロッパ化ではなく、ヨーロッパのバルカン化という恐怖を私たちにもたらしている。
[2008年6月18日号掲載]