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アメリカ人記者が歩いた四国お遍路
弘法大師の足跡をたどる四国お遍路に徒歩と観光バスで挑戦。外国人も病みつきになるニッポン巡礼の旅の意外な魅力とは
成就の地 金剛杖に菅笠、白装束で高知県・最御崎寺を参拝する筆者 Peter Blakely-Redux
よく頑張ったなあと、安楽寺の立派な白い山門をくぐりながら私は思っていた。空はもう真っ暗だったけれど、充実感はあった。なにしろ、四国霊場八十八カ所巡りのうち最初の6つの寺を、1日かけて自分の足で回ってきたのだ。
この朝、1番札所の霊山寺で買った菅笠と白衣(背に「南無大師遍照金剛」の文字がある)のおかげで、自転車の女子生徒とすれ違ってもおどおどしなくなった。お経の唱え方も板についてきたし、納経帳には、それぞれの寺で立派な墨書と朱印をもらってある(ちなみに料金は1回300円)。
私は満足した気持ちで、この晩の宿である安楽寺の宿坊の前に立った。引き戸越しに、温かい明かりが見える。金剛杖の汚れを落とし、戸をガラリと開けた。
若い僧侶が立っていた。「遅いですよ」と、彼は笑顔を見せずに言った。「みんな待っています」。私はあわててハイキングブーツを脱ぐと、重いバックパックを担いで階段を上り始めた。
「杖!」
背後の怒鳴り声に振り向くと、私の杖が寒い玄関に寂しく立てかけてあった。「金剛杖は弘法大師様の化身です」と、僧侶はぴしゃりと言った。「大事にしなさい!」
食事の時間も油断できない。あぐらをかいて座ると、「この脚、なんとかなりません?」と、宿坊の女性に言われてしまった。「正座はちょっと」と言い訳しようとしても、女主人は冷ややかな視線を返したきり、そっぽを向いてしまった。
なんとか正座をして、私は心の中でつぶやいた。ああ、なんてところに来てしまったんだ!
「巡礼の前と後では表情がまるで違う」
正直言って、お遍路を体験してみたいと本誌編集部に提案したとき、四国巡礼がどんなものか私はわかっていなかった。知っていたのは、独特の衣装を着てお寺を回る巡礼旅行が何世紀も昔から続いていることだけだった。
それでも、アメリカ先住民の儀式や座禅にも挑戦せずにいられなかった私は、霊場巡りに強く心引かれた。豊かな自然が多く残る四国で、東京の通勤電車にはない「本当の日本」に出合えるだろう。もしかすると、人生の謎にも答えが見つかるかもしれない。
それに、なんといっても毎年約10万人もの日本人が四国を訪れて、1200年前に日本に真言密教を開いた弘法大師(空海)の足跡をたどる旅をしている。
現代のお遍路は団体旅行のバスで寺を回るのが普通だが、あくまでも徒歩にこだわる少数派もいる。もちろん、私も「歩き遍路」を選んだ。バスの中で悟りを得られるわけがないと思ったのだ。
私のように遍路に興味をもつ外国人は、80年以上前からいたらしい。お遍路を研究している徳島文理大学のデービッド・モートンによれば、記録にある最も古い西洋人のお遍路は、1921年に巡礼したフレデリック・スターというアメリカの学者だったという。
四国遍路がイスラム教のメッカ巡礼などと違うのは、参加資格がとくにないこと。真言密教の信者でなくてもいいし、仏教徒である必要も、日本人である必要もない。大津波の被害やどこかの国の皇太子の再婚話を伝えるテレビに背を向けて、そこそこ改まった気持ちで来れば、それで十分だ。
霊山寺を訪れた参拝者が記帳していった台帳を繰ると、大勢の日本人に交じって、ドイツ人やイギリス人、インド人や中国人の名前もちらほら見える。
モートンは、外国人お遍路を出発地点の寺まで車で送っている(私もお世話になった)。「巡礼の前と後では、表情がまるで違う」と、モートンは言う。「人生を一変させる経験をしたのだと一目でわかる」
さりげなく温かい「お接待」の伝統
12番札所・焼山寺から歩くこと3時間、先を急いでいると「お遍路さん」と呼ぶ声がした。優しそうな声に、足を止めた。「いらっしゃい」と、お年寄りが言った。「一緒にお茶でもどうです」
鮎喰川を見下ろす山腹にある家にお邪魔して、この養蜂家夫婦と甘えん坊の猫と一緒に1時間ほど過ごした。お茶をすすりながら外に目をやると、陽光の柱が雲間から緑の丘に降り注いでいた。
老夫婦はいろいろな話をしてくれた。この地方を襲う猛烈な台風のこと、都会に出ていった子供たちのこと、バスツアーがなかった時代に、お遍路さんの金剛杖の鈴の音が1日中鳴り止まなかったこと。
出発するときは、本当の祖父母と別れるみたいに名残惜しかった。川へと続く道を歩きながら、何度も何度も振り返った。
四国に来るまでは、社会と隔絶した孤独な旅を想像していた。しかし私を待っていたのは、それとは正反対の経験だった。
巡礼初日、自動車で通りかかった若い女性がはにかみながら、リンゴと菓子パンを私の手に押しつけた。この後も道すがら、いろいろな差し入れをもらった。お遍路さんをもてなす「お接待」という伝統があるのだ。
腰の曲がったおばあさんは、地図を片手に途方に暮れていた私に道を教えてくれた。世間話をするために話しかけてきた人もいた。私みたいに独りが好きな人間にとってはぞっとする話のはずだが、5日間旅をするうちに、いつのまにか孤独な大都会に戻るのを恐れている自分に気づいた。
「四国の人は世界でいちばん親切で優しい」と言うのは、99年に2カ月間お遍路の旅をしたデービッド・ターキントンという男性。「どうしてこんなに親切にしてくれるんだろうと、ずっと思っていた。ただの冴えないガイジンなのに。申し訳ない気持ちだった」
猛スピードで行き交う大型ダンプをよけながら、幹線道路を歩くこと5時間。日が落ちるころになってやっと、めざす寺が見えてきた。痛む足を引きずり、よろめくようにして、今回の最終目的地と決めていた13番札所・大日寺の境内に入った。
いよいよ、私の旅も終わりだ。手になじんだ経本を取り出し、本堂に歩きだそうとした瞬間、男性のお遍路がニコニコと話しかけてきた。「ユー・アメリカン? USA? ユー・ライク・オテラ? ジャパニーズ・ブッダ?」
まずい! もうすぐ納経所が閉まる時間だ。相づちを打つ私の顔には、こわばった笑みが張りついていたにちがいない。男性がいなくなるとすぐ納経所に走り、線香に火をつけた。