vol.2 歌舞伎俳優 中村七之助さん
若手女形として妖艶な魅力を放つ一方、テレビ・ドラマや05年の映画「真夜中の弥次さん喜多さん」(宮藤官九郎監督作品)にも出演するなど広範囲の活動を展開してきた歌舞伎俳優、中村七之助。父は故・十八代目中村勘三郎、兄は六代目中村勘九郎。3歳で初お目見得し、87年で初舞台を経験している彼は、生まれながらにして歌舞伎役者としての道を歩み始めたとも言える。
歌舞伎という日本古来の芸能の道を歩みつつも、その魅力にいまだ取り憑かれているという七之助。彼の世界観を作ったもの、そして歌舞伎に対する情熱についてお話を伺った。
──七之助さんの一番古い音の記憶とはどのようなものですか?
「やっぱりお三味線とか太鼓みたいな和楽器の音ですよね。小さいころから家でも流れてましたし、お芝居にいけば当然流れてるわけで。その意味では、同世代の友人たちとは環境は違いますよ。生の音楽を聴いて育ったので、テレビから流れてくる音もあまり印象に残っていないんです」
──三味線の音色にはどんな印象を持っていました?
「お三味線の音が聴こえてくると緊張したものなんですよ。〈今から俺は舞台に上がるんだ〉という思いが沸き上がってきて、気持ちが高ぶってくるんです。大人になってからは〈いい音だな〉と思うようになりましたけど、当時はまだ4歳とかですからね」
──当時の七之助さんにとって歌舞伎はどんな存在だったんですか?
「生活の一部でしたね。初お目見得が3歳のときですから、当然自分の意志で舞台に上がったわけじゃないですけど、やっていくうちにどんどん(歌舞伎が)好きになっていったんです。小さいころから歌舞伎役者の真似をしてましたからね。みなさんが仮面ライダーやウルトラマンの真似をするように、僕は歌舞伎の真似していた。それぐらい歌舞伎が好きだったし、子どもながらに格好いいと思ってたんでしょうね。歌舞伎をご覧になったことのない方のなかには〈歌舞伎って難しいんでしょ?〉と思っていらっしゃる方もいると思うんですね。もちろん難しいものもありますけど、馬鹿馬鹿しいものもあるし、日常会話がロクにできない子供が見ても格好いいと思えるものもあるんです。見栄を切るときの演出なんてよく考えたものだと思いますよ。たとえ物語が分からなくても、その瞬間にお客さんからワーッと声が上がる。子どものころの僕はそういうシーンを舞台の袖から見ながら〈格好いい!〉と思っていたんです」
──なおかつ、自分も舞台上でやってみたいと?
「そうそう、自分でもああいう風に見栄を切ってみたい!と思ったんです」