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冷泉彰彦 プリンストン発 日本/アメリカ 新時代
「領土ナショナリスト」の反対は「平和主義者」ではない
政治家は領土を保全できなければ、国民の生命財産の保護もできないという印象を与えてしまいます。これは人間の自己防衛本能に直結していますから、オートマティックな説得力を持つわけです。逆に領土問題に熱心な政治家は、この本能の部分で共感を得ることができることになります。
古今東西の政治家の間で領土問題に熱心になる人物が多いのは、このためです。仮に領土ナショナリズムを煽ることが、その国の国民の民生の向上に寄与するものではなくても、煽れば煽るほど政治的な求心力になる、領土ナショナリズムはそのような性格を持っています。
場合によっては、国民にとってより重要であり、その政治家としてむしろ優先して解決しなくてはならないテーマから「逃避」するために、大局的な優先順位というより政治家個人の利己的な動機で、必要以上に領土ナショナリズムに「のめり込む」政治家もいるわけです。そもそも対立エネルギーに火をつけること自体が国益を毀損している場合もあるのですが、お構いなしというわけです。
例えば、石原慎太郎都知事の場合は「中長期の国家運営上、東京一極集中の弊害をどう克服するのか」というテーマと、相反する「それでも東京の国際競争力をどう維持してゆくのか」という複雑な連立方程式に解を得なければ国政進出など不可能なはずなのですが、それよりも「手っ取り早い」手法として「率先して仕掛ける」形で領土をテーマとしているわけです。
李明博韓国大統領の場合は「身内のスキャンダル」と「任期の末期」であることから求心力を失っていることに加えて、「繁栄する三大財閥の一方での格差の拡大」という問題をどうしてゆくかという問題を、今年の大統領選での与党の敗北を回避するという緊急の問題として背負っているわけですが、同じく安易な方向に流れているわけです。
フォークランド諸島(またはマルビナス諸島)を巡って、西側先進国同士が20世紀末の人類が見ている眼前で、本格的な陸海空のチャンチャンバラバラを繰り広げた1982年の戦役は、英国とアルゼンチン両国にとっては末代までの恥としなくてはなりません。ですが、これも経済政策に苦しむ両国の首脳(アルゼンチンのレオポルド・ガリティエリ大統領と、英国のマーガレット・サッチャー首相)が政治的求心力を欲したためと言えるでしょう。
いずれにしても、こうした一連の政治家のことは「領土ナショナリスト」と言うことができます。ところで、こうした「領土ナショナリスト」の反対の概念というのは何なのでしょう?
俗にいう「平和主義者」という人たちがいます。確かに彼等は「領土ナショナリスト」を批判したり忌避したりします。その多くは抽象論に終わることが多いのですが、中には「相手国との対立エネルギーを軽減しよう」という真面目な動機を持っている人もいると思います。
ですが、こうした「平和主義者」の言動が事態を好転させるかというと、余り期待はできないように思われます。せっかく運動しても、せいぜいが「強硬論」対「平和主義」的な、これまた人類の歴史において典型である「国内の分裂」を激化させて終わることが多いからです。
では「領土ナショナリスト」の本当の反対概念というのはどんな人々なのでしょう。それは「国境線確定を目指す実務家」という人々です。文字通り、国境紛争そのものの構造を理解し、対立する相手とその背後にある相手国の世論を考え、同時に自国の世論とのコミュニケーションも繰り返しながら、最終的に国境紛争を終わらせ「国境線を確定する」ことを目指す、そんな人々です。
歴史上注目に値するのは、ドイツのコール首相(在任1992~98年)のケースでしょう。コール首相は非常に単純に言えば、東ドイツの吸収合併と首都のベルリン移転という自国民には熱狂的に受け止められても周辺国に歓迎されない行動を成功させるために、統一ドイツの国境線を「全て確定する」という努力をしたわけです。特に問題となったのは、ポーランドとの国境であり、オーデル・ナイセ線以東の「ドイツ騎士団以来の旧東部ドイツ領」を完全に放棄することに同意し、議会と国民を説き伏せたのです。
安全保障のコスト効率という観点から、明確に「国境線確定」という政策を原理原則としていたのは、18世紀中国のアイシンギョロ・インジェンという人物でしょう。死後はその治世の年号を取って雍正という名前で記憶された満洲人の政治家です。彼のチベット分割政策は、今に至る中国とダライラマ政権の確執のルーツという批判もありますが、ロシアと「キャフタ条約」を結んで外蒙古の国境を確定したことや、紛争の長期化を権力の源泉としようとした軍部に対して厳格な統制を行うなど、冷徹なまでに「国境線確定」という政策を一貫させた人物という評価が可能です。
日本の場合は、1875年にロシアとの間で「千島・樺太交換条約」を締結させた実務家、榎本武揚が想起されます。この際の樺太放棄という政策は、アイヌ、日本人、ロシア人の混住状態を解決するのが主旨であり、そこにはアイヌへの切り捨ての視線が入っているところは感心しませんが、少なくともこの時点でのロシアとの国境紛争という「コスト」を回避するために国際法の知識を駆使して動いた、榎本の手腕は記憶されてもいいと思います。
しかし、ヘルムート・コール、雍正帝、榎本武揚といった顔ぶれは、そのまま21世紀の国際社会では理想とするわけには行かないでしょう。それぞれの行動には、生臭い動機が見え隠れするからです。また生臭いといえば、2004年のプーチン=胡錦濤による中ロ国境確定という事件があります。見事な解決ではあり参考にはなりますが、動機には極東における両国の影響力拡大を目指した不純なものが否定できません。
そこでご紹介したいのが、アメリカとカナダの間に横たわる長い国境線(北緯49度線にアラスカ国境を入れると全長9000キロ弱)を守っている、国際国境委員会("International Boundary Commission")です。この実務委員会は、米加両国の主権からは独立しており、それぞれの国から選任された2名の共同委員長は、一旦就任した後は両国政府でも罷免できないという仕組みです。そのようにして独立性を確保した委員会が、国境地域の保安管理をはじめとした実務を担っています。英語とフランス語で書かれたホームページには、「1世紀にわたって国境の安全を守ってきた」という自負と共に、米加国境に関する様々なファクトが記されています。
こうした管理方式は、陸の国境ではなく水域の安全管理ということでも応用できるのではないかと思われます。米加国境に関して言えば、独立戦争から始まって1846年のオレゴン協定までは流血が繰り返された歴史があるわけですが、和解が成立し、国境線が確定することが北米大陸の繁栄の基礎となったのは間違いありません。そうした歴史も参考になるのではないでしょうか。
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