コラム

お笑いニュースがオバマ保険を救う?

2009年09月02日(水)14時44分

 毎晩欠かさず観ているニュース番組はNBCでもCBSでもABCでもない。CNNでもMSNBCでも、ましてやFOXニュースでもない。コメディ・セントラルの『デイリー・ショー』だ。

 そう、お笑い専門ケーブル局のお笑いニュース・ショーだ。キャスターのジョン・スチュワートもジャーナリストなんかじゃない。コメディアンだ。でも、『デイリー・ショー』はどんなニュース番組や新聞よりも明快で痛快なのだ。

 たとえばビジネス専門チャンネルCNBCでシロウト向けの投資コンサルタント番組をやってる評論家ジョン・クレイマーを呼んだ時は、彼の過去のビデオを「証拠」として見せる。

「投資するならリーマン・ブラザーズ! 買いだ!」

「AIGは安心な銘柄だ! 買いだ! 買いだ!」

「シティ・グループの株はどんどん上がるぞ! 買いだ! 買いだ!」

 クレイマーが買え買え言ってた会社の株はその後のリーマン・ショックでどの株も紙切れ同然。視聴者に大損をさせておいて謝りもしない無責任な「株のカリスマ」にスチュワートは放送で謝罪させた。

「他の新聞やニュースが許しても、このジョン・スチュワートは黙っちゃいないぜ!」 ああ、遠山の金さん並にスカっとする! そんなわけで『デイリー・ショー』は時事問題離れが激しい若者や、逆に「マスコミは左派偏向だ」といってニュースや新聞を読まない右派保守層からも人気を集めているのだ。

 8月20日、『デイリー・ショー』のお白砂に、ベッツィー・マコーヒーが引き立てられた。彼女はオバマ政権の医療保険改革を潰そうとする反対派の急先鋒だ。

 マイケル・ムーアの『シッコ』でご存知のように、アメリカは先進国で唯一、公的医療保険がない。「アメリカン・ジャーナル・オブ・メディスン」誌8月号によると、個人破産の原因の62%が自分や身内の病気や怪我。治療費が払えずに破産するのだが、恐ろしいことに彼らの72%が民間の医療保険に加入している。保険会社は何だかんだと難癖をつけて医療費支払いを拒否するからだ。

 営利優先の医療保険に国民が振り回されるこの状況を改善すべく、民主党は政府運営の医療保険を実現しようとしてきたが、石油や金融に次ぐ巨大産業となった保険業界と、彼らに取り込まれた共和党は激しく妨害し続けてきた。そんなアンチ公的保険勢力の先頭でたいまつを掲げているのがベッツィー・マコーヒーだ。

 マコーヒーはブルームバーグ・ニュースなどのコラムで、オバマの保険法案では「死を迎えた末期患者の医療費について、医者と保険を管理する役人たちが協議して支払を拒否するだろう」と書いた。また「この公的保険の運営費には、老齢者向け公的医療保険メディケアの予算が当てられる」として、高齢者にとって危険な法案だと批判した。

 このマコーヒーの記事はオバマ保険を恐れる人々に大きな影響を与えた。去年の共和党の副大統領候補だったサラ・ペイリンもその1人だ。ペイリンは自分のブログで「オバマ政権は高齢者や身体障害者を切り捨てようとしている。政府は患者の社会的な生産性を基準に患者を生かすか殺すか決めるデス・パネル(死の審査会)をやる気だ」と書いた。そして「デス・パネルは御免だ」と書いたプラカードを掲げた群集が、医療保険を説明するタウンホール・ミーティングに殺到して話し合いを妨害した。

 実はこのマコーヒーは、90年代にクリントン政権が公的保険法案を出したときにも、それを叩き潰している。1342ページもある法案を読み通したと称するマコーヒーは自分のコラムで法案の問題点を指摘した。「公的保険が実施されると民間保険には入れなくなる」「医師への支払いは公的保険を通す以外になくなる」

 そのコラムは政治雑誌『ニュー・リパブリック』に転載され、これがセンセーションを巻き起こした。共和党はその記事を楯に法案を批判し、葬り去った。マコーヒーの記事は社会に最も大きな影響を与えたとして全米雑誌賞を受賞した。

 マコーヒーはそれまでほとんど無名だった。大学で政治史を学んだ後、裕福な投資銀行家と結婚して18年間専業主婦をしていたが92年に離婚して、ウォール・ストリート・ジャーナル紙などに政治コラムを書き始めたところだった。ところが「クリントン保険潰しの立役者」としていちやく有名になった。

 97年、ニューヨーク州知事選に立候補した共和党のジョージ・パタキはマコーヒーの人気に目をつけ、彼女を副知事候補に指名した。2人は当選し、なんの政治的経験もないマコーヒーはいきなり副知事になってしまった。

 しかし、マコーヒーのクリントン保険批判は間違っていた。大問題になった2点「公的保険が実施されると民間保険には入れなくなる」と「医師への支払は保険からのみ」という文面は法案のどこにも載っていなかった! 1000ページ以上もある法案を「全部読んだ」と称するマコーヒーに圧倒されただけだったのだ。信じられないほどお粗末で、しかもアメリカらしい話!

 マコーヒーは『デイリー・ショー』に呼ばれた時も、1000ページ以上あるオバマ保険法案のコピーを抱えて登場し、ドサっとテーブルに置いた。でも、ジョン・スチュワートはそんなハッタリに動じず、基本的な質問をした。

「で、この保険が高齢者の医療費支払いを拒否するというのは、法案のどこに書いてあるんですか?」

「ここに書いてありますよ!」

 マコーヒーはパラパラとページをめくりはじめた。パラパラパラパラ。いつまでも。見つからないうちにコマーシャルになってしまった。スチュワートはあきれて言った。

「ちゃんと付箋つけといてよ!」

 結局、マコーヒーが書いた問題点とやらは法案の中に発見できなかった。パニくった彼女は叫んだ

「誰かが、そのページを隠したのよ!」

 って、そのコピーを持ってきたのはあんたでしょ!

 こんなレベルで足を引っ張られて公的保険が実現せず、医療費が払えずに破産したり死んだりするアメリカ人はあまりに悲惨だよ。

プロフィール

町山智浩

カリフォルニア州バークレー在住。コラムニスト・映画評論家。1962年東京生まれ。主な著書に『アメリカ人の半分はニューヨークの場所を知らない』(文芸春秋)など。TBSラジオ『キラ☆キラ』(毎週金曜午後3時)、TOKYO MXテレビ『松嶋×町山 未公開映画を観るテレビ』(毎週日曜午後11時)に出演中。

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