コラム

「政局化」するTPP論議で置き忘れられる消費者の利益

2011年10月13日(木)11時44分

 TPP(環太平洋パートナーシップ)への参加をめぐって、民主党内を二分する騒動が起こっている。山田正彦前農水相を座長とする「TPPを慎重に考える会」が、民主党の国会議員180名以上の署名を集めたと発表したからだ。

 民主党の議員は衆参両院あわせて407名なので、これは過半数に迫る規模だ。メンバーは非公開なので中身はわからないが、勉強会に集まったのは50人程度。小沢一郎氏や鳩山由紀夫氏などの「小鳩」グループの議員が多いが、「慎重に検討しろ」というだけで、何が問題なのかわからない。TPPには、具体的にどういう弊害があるのだろうか?

 農水省は「TPPに参加すると農業が壊滅してGDP(国内総生産)が1.6%減少する」という推計を発表したが、経産省はTPPに加入しないと2020年にはGDPが1.5%下がると発表し、内閣府はTPP参加でGDPが最大0.65%上がると推定した。

 しかし農業生産額の3割を占める野菜の関税はすでにほとんどゼロであり、穀類の中でもトウモロコシの関税はゼロで、小麦は9割以上が輸入品だ。最大の影響を受けるのは関税率778%のコメだが、世界のコメのほとんどは日本人が食べない長粒種で、日本と同じ短粒種の生産は世界市場の数%しかない。品種転換は容易ではなく、「外米は脅威ではない」というのが多くの専門家の意見である。

 そもそも農業生産のGDP比は0.9%で、それが文字どおり全滅したとしても、GDPへの影響は農水省のいう1.6%にはならない。こんな小さな問題のために多くの政治家が集まって反対運動をするのは、日本経済のためではなく自分の選挙のためだ。山田座長は、民主党の前原誠司政策調査会長に「TPPは次の選挙のあとまで待ってほしい」と条件闘争をもちかけ、「つかみ金」で解決する打開策をさぐっている。

 他方、輸出拡大で日本が大きなメリットを得るという経産省の試算も怪しい。今年8月の国際収支状況(速報)によると、日本の経常収支の黒字は4075億円で、そのうち貿易(サービスを含む)収支は6947億円の赤字だが、海外からの投資収益などを示す所得収支は1兆3539億円の黒字である。ここ10年をみても、図のように所得収支が経常収支を上回っている。日本はすでに輸出より海外子会社からの配当などのほうが大きいのだ。

(図)日本の国際収支の推移(単位・兆円)
current.JPG

 これから日本のグローバル企業が生きてゆく道は、従来のような「輸出立国」ではなく、生産拠点をアジアに移して「世界最適生産」を行なうことだ。TPPのねらいも、アジア諸国の保護貿易を改め、規制を共通化して環太平洋地域を経済統合することにある。欧州連合のような強い統合は無理だろうが、人や金の行き来が自由になれば、世界の成長エンジンになっているアジアから日本も利益を得ることができる。

 このようにTPPの産業にもたらす影響はさまざまだが、ただ一つ間違いないのは、それが消費者の利益になるということだ。たとえば7000円だったジーンズが、アジアの現地生産によって700円で輸入されたら、あなたの所得は同じでも購買力は10倍になる(それなのに繊維製品には10%の関税がかかっている)。たとえ自由化の結果がGDPベースでプラスマイナスゼロでも、消費者の利益は確実に増えるのだ。

 これを「ユニクロ型デフレ」などという人がいるが、輸入物価の低下は相対価格の変化であって貨幣的なデフレではない。むしろこうした国際競争で生き残ることにしか、日本企業の活路はない。消費者の利益にならない企業は消えるのが、資本主義のルールである。

 むしろ必要なのは、経済統合からメリットを得られるようにTPPのルールを変える交渉だ。野田首相は「11月のAPEC(アジア太平洋経済協力会議)までに結論を出す」と言っているが、党内情勢は流動的だ。ここで「党内融和」を優先して参加を見送ると、日本に不利なルールができてから参加することになる。

 いっそのことTPPの賛否で民主党が分裂し、小沢氏を中心とする反対派が自民党と合流し、自民党の賛成派が民主党に合流して、TPPを争点に総選挙をしてはどうだろうか。自由貿易への賛否は、日本経済の今後の方向をどう考えるかについての格好の試金石である。

プロフィール

池田信夫

経済学者。1953年、京都府生まれ。東京大学経済学部を卒業後、NHK入社。93年に退職後、国際大学GLOCOM教授、経済産業研究所上席研究員などを経て、現在は株式会社アゴラ研究所所長。学術博士(慶應義塾大学)。著書に『アベノミクスの幻想』、『「空気」の構造』、共著に『なぜ世界は不況に陥ったのか』など。池田信夫blogのほか、言論サイトアゴラを主宰。

今、あなたにオススメ
ニュース速報

ビジネス

米テスラ、カリフォルニア州で販売停止命令 執行は9

ワールド

カナダ、北極圏2カ所に領事館開設へ プレゼンス強化

ワールド

香港トップが習主席と会談、民主派メディア創業者の判

ワールド

今年のシンガポール成長予想、4.1%に上方修正=中
MAGAZINE
特集:教養としてのBL入門
特集:教養としてのBL入門
2025年12月23日号(12/16発売)

実写ドラマのヒットで高まるBL(ボーイズラブ)人気。長きにわたるその歴史と深い背景をひもとく

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    日本がゲームチェンジャーの高出力レーザー兵器を艦載、海上での実戦試験へ
  • 2
    人口減少が止まらない中国で、政府が少子化対策の切り札として「あるもの」に課税
  • 3
    【実話】学校の管理教育を批判し、生徒のため校則を変えた校長は「教員免許なし」県庁職員
  • 4
    ミトコンドリア刷新で細胞が若返る可能性...老化関連…
  • 5
    「勇気ある選択」をと、IMFも警告...中国、輸出入と…
  • 6
    空中でバラバラに...ロシア軍の大型輸送機「An-22」…
  • 7
    「住民が消えた...」LA国際空港に隠された「幽霊都市…
  • 8
    【人手不足の真相】データが示す「女性・高齢者の労…
  • 9
    FRBパウエル議長が格差拡大に警鐘..米国で鮮明になる…
  • 10
    【衛星画像】南西諸島の日米新軍事拠点 中国の進出…
  • 1
    日本がゲームチェンジャーの高出力レーザー兵器を艦載、海上での実戦試験へ
  • 2
    人口減少が止まらない中国で、政府が少子化対策の切り札として「あるもの」に課税
  • 3
    【衛星画像】南西諸島の日米新軍事拠点 中国の進出を睨み建設急ピッチ
  • 4
    デンマーク国防情報局、初めて米国を「安全保障上の…
  • 5
    ミトコンドリア刷新で細胞が若返る可能性...老化関連…
  • 6
    【実話】学校の管理教育を批判し、生徒のため校則を…
  • 7
    【銘柄】資生堂が巨額赤字に転落...その要因と今後の…
  • 8
    【クイズ】「100名の最も偉大な英国人」に唯一選ばれ…
  • 9
    香港大火災の本当の原因と、世界が目撃した「アジア…
  • 10
    中国軍機の「レーダー照射」は敵対的と、元イタリア…
  • 1
    東京がニューヨークを上回り「世界最大の経済都市」に...日本からは、もう1都市圏がトップ10入り
  • 2
    日本がゲームチェンジャーの高出力レーザー兵器を艦載、海上での実戦試験へ
  • 3
    人口減少が止まらない中国で、政府が少子化対策の切り札として「あるもの」に課税
  • 4
    高速で回転しながら「地上に落下」...トルコの軍用輸…
  • 5
    日本人には「当たり前」? 外国人が富士山で目にした…
  • 6
    「999段の階段」を落下...中国・自動車メーカーがPR…
  • 7
    【銘柄】オリエンタルランドが急落...日中対立が株価…
  • 8
    「髪形がおかしい...」実写版『モアナ』予告編に批判…
  • 9
    日本の「クマ問題」、ドイツの「問題クマ」比較...だ…
  • 10
    膝が痛くても足腰が弱くても、一生ぐんぐん歩けるよ…
トランプ2.0記事まとめ
Real
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story