コラム
ふるまい よしこ中国 風見鶏便り
「心債」
中国のネットに重苦しい雰囲気が広がっている。特に「発言する人たち」は今年国家主席になったばかりの習近平がぶちあげた「チャイナドリーム」とやらがいったいどんなものなのか見定めようとしてきただけに、今はなんともいえない煮えたぎるような怒りに身を任せつつ、それを吹き出させる方向を探しているようにも見える。
7月20日夕刻に北京国際空港第三ターミナルの到着ロビーで起こった手製爆弾事件。ちょうど夏休み、そして週末の夕刻ということで、空港に出迎えにやってきていた人も多かったのではないか。爆弾を作って持ち込んだ男の挙動はそれを引火させる前からそんな人たちの目を捉えており、引火と同時に写真や情報が中国国産マイクロブログ「微博」に飛び交った。
そして、その前に彼が配っていたというビラから、事件発生わずか30分もたたないうちにその身元が山東省に暮らす冀中星だと明らかになった。その速さには驚いたが、首都空港という場を選び、ビラを配った彼は、そのことすらも計算していたのかもしれない。
1979年に山東省の農村で生まれた冀は、経済的に豊かな広東省東莞でバイクタクシーを走らせて生計をたてていた。2005年5月のある夜、客を載せてバイクを走らせていたところに警察に遭遇。バイクタクシーは白タク行為にあたる(手記によると彼にはその意識はなかったようだ)ためそのまま追いかけられ、応援に飛び出してきた都市管理職員に追い詰められて取り囲まれ、乗客ごと鉄パイプで殴られ気を失った。
病院で気がついた時には、5つある腰椎のうち腰に一番近い第一腰椎が損傷するほどのケガを負っており、そのために下半身が動かなくなった。冀には一緒に殴られた乗客という証人がおり、東莞市治安担当者による過剰な暴力への賠償を訴えたが、結局無視されたまま。その後、広東省から北京へと陳情を繰り返してきたが聞き入れられず、「社会への復讐心に燃えて」(当局発表)空港で手製爆弾を爆破させたという。
だが、念のため書いておくが、広東省東莞という地方都市で起こった事件で、一般庶民がすぐさま中華人民共和国の中央政府に恨みを持つことはほぼありえない。中国では地方行政府もすべて「政府」と呼ばれており、この場合は東莞市、あるいはもっと細分化された事件現場を管轄する政府が冀の対峙する相手だった。だが、そこで無視されると、陳情は往々にしてその上の政府へとレベルアップする。上の政府に認められれば問題の末端政府に圧力をかけてもらえる、人々は一般的にそう考えるからだ。だが、冀の場合はそれが実らなかった。
同様に陳情が無視されると人々は上へ上へと辿って、多くの地方の陳情者は最終的に北京の中央政府に訴えようとやってくる。冀も北京で陳情を行ったらしいが、結局地方で起こった事件に対してそれを受け付ける機関もないために無視されたようだ。
政府系メディアはそこから、冀が「社会を恨み」「復讐心に燃え」て人でごった返す首都空港を標的に選んだ、という文脈で報道した(日本のメディアもそれをそのまま翻訳して伝えているところがある)。だが、事件を現場からマイクロブログを通じて伝えた、多くの人たちが、爆弾を引火させる前に冀が大きな声をあげて人々を遠ざけたこと、そして異常を感じ取った警備員が近づいたところで手に持った爆弾を引火させたと証言している。
そこから見ても、この事件は「復讐心」だの「社会への恨み」だの、さらには「精神異常者」でもないことが分かる。間違いなく、冀の目的は「空港」という人の流れの激しい場所で注目を引くことだったはずだ。この日、偶然現場に居合わせた多くの人たちの断片的な、しかし多角的な報告と、ほぼ同時に流れた政府系メディアの断定的な報道内容を見比べて、事態の発生からその動きを追い続けたネットユーザーは「事実の歪曲」がいかにして起こるのかを目の当たりにした。
その間に冀のマイクロブログのアカウント、そしてブログ、さらには過去の彼に関する報道もネットであぶりだされ、現場の報告と絡めて読むと、冀が一体どんな過去を送ってきた人なのかがその夜のうちに多くの人たちの知るところとなった。そして翌日には、病院に収容された冀を取材した、経済誌「新世紀」(経済誌ながら、優れた社会問題報道をすることでも知られている雑誌だ)の羅潔琪記者が「記者の心債、冀中星たち」というブログエントリを発表し、大きな注目を集めた。「心債」とは「心のなかに積もり積もった債務」という意味だ。
冀と同年生まれという羅記者はそこで、爆弾を引火させた左手を失った冀が入院する病院を取材した後、「爆発を引き起こした者に同情を感じている」と書いている。同記者はかつて取材で出かけた村で、炭鉱事故で体が不自由になり、裁判所の賠償判決に従わない炭鉱主に賠償を求め続けている老人に引き合わされたことがあるという。生活も成り立たず、妻を他の男に嫁がせたがその男も炭鉱事故で死亡。老人は炭鉱主に賠償を命じる判決の執行を望みながらもすでに絶望的な生活を送っていた。
また、娘が学校で性的暴行を受けたことを告発した母親が学校側の報復に遭い、子どもたちが学校に通えなくなったという事件。羅記者がその母親に出会った時、すでにその暴行事件から6年が経過していたが、当時の事件を掘り起こして再審にかけることがその家庭のためになるのか、その報道がなにをもたらすのか、と躊躇せざるを得なかったという。
そんな彼らのように現地での訴えが聞き入れられず、北京へやってくる陳情者は多い。それについては日本でも記事や本にされているが、実際の人数はその数百倍にも匹敵し、また事情の細かさからして北京ではほぼ対応できないのも現実だ。当然そうした陳情者にすがられる記者たちも陳情記事で紙面を固めるわけにもいかず、同情しながらも無力感を覚えている。羅記者はある弁護士が冀中星の爆発物引火事件後に「メディアはどこに行ったんだ? 空港で彼が爆破事件を引き起こしてやっと記者が集まってくるなんて」とつぶやいたことも、心に突き刺さったいう。
先月起こったアモイのバス放火事件でもそうだった。やはり「犯人」陳水総は半生を「政府」に振り回され、最後の頼みを訴えるところをなくして満員のバスにガソリンを撒き、火を放ったとされた。冀と陳が違うのは冀が一般人を自分から遠ざけたことだが、今に至るもバスの乗客とともに死んだ陳が、なぜ一般市民を巻き添えにしたのかは解明されていない。それ以前につけていた微博にはそのような表記は一言も無いし、また彼の「遺書」が当局に押収されたまま公表されていないからだ。
だが、政府当局は彼らに「社会に恨み」「復讐心」というレッテルを貼って、危険分子として人々の目から遠ざけてしまった。残ったのは今後のガソリン購入に身分証明書の提示が義務付けられたり、といった「措置」だけだ。こんな明らかに事件の解決とは程遠い措置しかとれない政府に、いつ自分が偶然標的にされるか、そしてその結果標的にされた自分すらも社会に見捨てられる立場におかれるかもしれないと不安を感じている人もいる。
しかし、そんなやりきれなさに怒りを感じ、行きどころのない不満をつぶやくのも、この国では危険だ。
「わたしは爆破したい――北京人材交流センターの居民委員会そばにあるマクドナルドの――手羽先と、ポテトと、マントウを...」と事件後、微博でつぶやいた、ロックバンドの女性ボーカリスト、呉虹飛さんが刑事拘留されてしまったのである。「爆破」と「油で揚げる」は中国語では同じ「炸」を使う。彼女はその1時間前に「人材交流センターの居民委員会を爆破してやりたい」などとかなり過激な書きこみをしていたが、それを自ら削除し、上記のつぶやきに書き換えていた。その後に逮捕されたため、彼女を知る人たちからネットを中心に激しい抗議の声が上がっている。
いくら彼女の言葉が激しいものであっても、具体性を伴わない「言葉」だけを刑事犯罪とみなすのはおかしい。たとえ彼女の先の発言が問題であっても、本人は事前にそれを削除している。彼女は自分の判断で削除したのだから――ロッカーの他に作家、雑誌記者という身分を持つ彼女が公的な場での発言のボトムラインを知らないわけがなかった。しかし、その彼女自身の判断で書き込みが消された後も咎められ、それもすぐさま刑事事件とみなすとは...
この国の「不満」はこうして行き場を失っていく。次にまた誰かが耐え切れなくなり過激な事件が起こっても、再び「社会への不満」「復讐心」といった方向性を持たない言葉に書き換えられていくのか。そうすることでこの国の本当の不満はどこへ向かっていくのか。この息苦しいまでのやりようのなさは、次にどんな形で吐き出されるのだろうか。その「債」が幾重にも社会のさまざまな層で淀のようにたまり続けていることに、なんともいえない重苦しさを感じている。
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