南米街角クラブ
「この楽器は、ペルーに連れてこられた黒人奴隷が作り出したんだ。」
ブドウの蒸留酒ピスコはペルー発祥か、それともチリ発祥か。
数年前、サンパウロで行われた友人の誕生日会にて、ペルー人とチリ人の留学生が激しく討論していた。
長い討論の末に、今度はどちらのセビーチェ(魚介のマリネ)が美味しいかと言い争い始めた。
南米の友人たちは、自国の話になると冗談半分でなくなる。
ペルー人音楽家の友人がピスコやセビーチェよりも声を大きくして「ペルーが発祥だ!」と言い張る物がある。
それはカホンと言う名の打楽器で、高さ50cm程度の木製の箱型、背面に丸い穴(音孔)が切り抜かれており、椅子のように腰を掛けて、前面を叩いて音をだす。 上部の両端を叩くと高音、真ん中辺りは低音、叩き方によって様々な音色が楽しめる。 日本では、ストリートライヴなどで見かけたことがある人が多いかもしれない。
留学生たちの影響でペルー音楽に魅了されてしまった私は、友人に教わりながらカホンの練習をはじめた。 カホンのルーツについて尋ねたところ、想像もしていなかった話をしてくれた。
「この楽器は、ペルーに連れてこられた黒人奴隷が作り出したんだ。」
インカ帝国が征服され、スペイン植民地の中に設立されたペルー副王領となった1542年以降、アフリカから奴隷として黒人が連れてこられた。
カホンの誕生は、その頃からペルーが独立して奴隷解放宣言する1854年頃の間とされているが、正確な記録はない。
カトリック教会は黒人奴隷たちの反乱を恐れ、彼らの表現の一つでありコミュニケーションツールでもある太鼓の使用を禁じたため、海岸沿いで労働させられていた奴隷たちが、船の輸送用の木箱を代わりに叩き始めたのが始まりと言われている。
木箱の前にはチェコという巨大なカボチャのような植物を太鼓代わりに使っていたが、当時は防腐処理の技術もなく、長持ちしないことから発展しなかったそうだ。
以降、カホンは黒人文化から影響を受けて生まれたアフロペルー音楽FestejoやLandóなどに用いられるようになった。
Landóはアフリカの音楽と踊りであるLunduから影響を受けたものと言われているが、ブラジルにも同じくアフリカのLunduから影響を受けた音楽が存在した。それが初のブラジル本国生まれの音楽Choroや、後に誕生したSambaに影響を与えることになる。同じ地域から流れ着いた文化が、それぞれの国で異なる変化をもたらしたのは非常に興味深い。
また、植民地で生まれたスペイン系の住民、先住民、黒人たちの文化が混ざり合って生まれたクリオージャ音楽でもカホンは欠かせない楽器となる。
これらは主にペルーの海岸沿いで広まった文化であるため、あのフォルクローレの名曲『コンドルは飛んで行く』にカホンは登場しないのだ。 ペルーは大きくCosta(海岸地域)、Sierra(山岳地域)、Selva(熱帯地域)の3つの地域に分けられており、気候も変われば、音楽、食文化も違うのが面白い。
1977年、カホンが世界的に広まるひとつのきっかけとなった出来事が起こった。
フラメンコギタリストのPaco de Lucíaがツアーでペルーを訪れた際、現地のスペイン大使館で開かれたパーティーにて、クリオージャ音楽の代表的な歌手で作曲家であるChabuca Grandaと、彼女のグループで演奏していたカホン奏者Caitro Sotoに出会う。
Pacoはギターと相性の良いカホンに夢中になり、Caitroにカホンを売ってくれと頼んだのだった。
スペインにカホンを持ち帰ったPacoがフラメンコに取り入れると、その噂は瞬く間に広まり、半年後には町中のフラメンコ会場にカホンが現れるようになったと本人がインタビューで話している。
カホンの良いところは、その音色はもちろんだが、高音と低音が出せる打楽器の中でも比較的持ち運びが楽なところにあるだろう。
そんな利点から、使用される機会も増え、今ではポップスからジャズ、ブルースまで幅広く使用されるようになった。また、ドラムセットが入れられない比較的小さな会場で使用されたり、アコースティックな音楽シーンでも大活躍する。
しかしながら、この楽器のルーツがペルーに連れてこられた黒人奴隷たちにあることをしらない人が多いのが現実だ。
そんなこともあり、2001年にペルー政府はカホンを国の文化遺産として認定。
2014年には米州機構に「カホンはペルーの楽器である」という太鼓判を押してもらい、2018年にペルー政府が毎年8月2日をカホンの日と定めた。
2008年から始まったリマの国際カホンフェスティバルでは、ペルーだけでなく世界各地から有名なカホン奏者がコンサートに出演し、アルマス広場の特設会場には毎年多くの観客やカホンを持った人々が集まり賑わっている。
今年のフェスティバルは新型コロナウイルスの影響でオンラインでの開催となったが、9月末まで毎週木曜日にライヴ配信が行われるので、興味がある方はぜひ観てみてほしい。
FESTIVAL INTERNACIONAL DE CAJÓN Y PERCUSIÓN RAFAEL SANTA CRUZ
ちなみに、ピスコの定義をめぐるペルーとチリ間の争いは未だに解決していない。
【今日の1曲】
ChabucaとCaitroが大使館のパーティーに現れなかったら、物語は変わっていたかもしれない。
そんなChabucaが得意としていたペルー風ワルツの代表作。
著者プロフィール
- 島田愛加
音楽家。ボサノヴァに心奪われ2014年よりサンパウロ州在住。同州立タトゥイ音楽院ブラジル音楽/Jazz科卒業。在学中に出会った南米各国からの留学生の影響で、今ではすっかり南米の虜に。ブラジルを中心に街角で起こっている出来事をありのままにお伝えします。2020年1月から11月までプロジェクトのためペルー共和国の首都リマに滞在。
Webサイト:https://lit.link/aikashimada
Twitter: @aika_shimada